「和字書体十二勝」では、本居宣長の字様をベースにした和字カーシヴ1書体、同じく本居宣長につながる字様をベースにした和字ドーンスタイル2書体を制作した。漢字書体の宋朝体との組み合わせを考えて、和字ドーンスタイルを追加することにしたのだ。
【すずり】【すずのや】『玉あられ』(本居宣長著、柏屋兵助ほか、1792年)は、本居宣長の著書で、版木彫刻によるものである。近世の歌文に著しい誤用があるのを正そうと思い、古文の用法を思いつくままに説明したものである。原資料に基づいて「すずり」を制作したが、さらに深化させて「すずのや」として再構築させた。
【うえまつ】『古事記伝二十二之巻』(本居宣長著、1803年)は、本居宣長の著作で、植松有信(1758年–1813年)の版木彫刻による。このうち二十二之巻などの一部の巻は植松有信の筆耕(板下書)によるものである。植松有信は名古屋で板木師をしていて『古事記伝』の刊行に関わる。宣長に入門して板木師として宣長著作の多くに携わっている。『古事記伝』の草稿は漢字カタカナ交じり文で書かれているが、その再稿本および版本は漢字ひらがな交じり文に変わっている。
【ひふみ】『神字日文伝』(平田篤胤著、1824年)は、上巻、下巻、付録からなり、1819年(文政2年)に成立した。漢字伝来以前に日本に文字が存在したと主張する。『神字日文伝』には一字一字が独立したひらがながみられる。もともとの版下は書写されたものと思われるが、硬筆書写のような印象を受ける。
「和字書体三十六景」で、和字オールドスタイルは十分制作していたので、「和字書体十二勝」では、和字ドーンスタイル1書体、和字アンチック2書体、和字ゴシック(初期)1書体を追加することにした。
【にしき】『Book of Specimens』(平野活版製造所、1877年)。平野富二(1846年–1892年)は本木昌造の依嘱により、1872–1872年(明治5年)に東京で長崎新塾出張活版製造所(のちの平野活版製造所)を設立、活字版印刷の企業としてのスタートをきった。『Book of Specimens』(平野活版製造所、1877年)は、その最初の時期の活字見本帖である。この見本帖所収の「第三號」ひらがな活字は、野性的な書風である。
【みなもと】『新撰讃美歌』(植村正久・奥野昌綱・松山高吉編輯、警醒社、1888年)には、『座右之友』(東京築地活版製造所、1895年)および『富多無可思』(青山進行堂、1909年)に掲載された漢字書体の「五號アンチック形」と同一の書体が使われており、さらにはその和字書体も見受けられる。その字様は江戸文字に近いが、和字アンチック体に分類される活字書体の最初期のものだと考えられる。
【たまゆら】『言海』(大槻文彦著、六合館、1931年)は、大槻文彦(1847年–1928年)の著した国語辞典である。1875年(明治8年)に編纂を開始、1891年(明治24年)に刊行された。最初は四六倍判の4分冊として出版され、その後、1冊本や2冊(上・下)本、小型や中型のものが刊行されていった。欧米の各国では、国語の統一運動の集大成としての辞書作りが行われた。『言海』の編纂も、そうした流れの一環とされる。
【はるか】『活字と機械』(野村宗十郎編輯、東京築地活版製造所、1914年)は、その名のとおり、活字と機械の両面から大正初期におけるタイポグラフィを紹介した小冊子である。この小冊子に、五號ゴシック体などの和字書体が掲載されていた。築地体の特徴をよくあらわしたゴシック体の和字書体である。
「和字書体三十六景」では少なかった現代の書体を、「和字書体十二勝」として追加することにした。和字ニュースタイル1書体、和字モダンスタイル2書体、和字ゴシック(中期)2書体を制作した。
【あずま】『東京今昔帖』(木村荘八著、東峰書房、1953年)の著者、木村荘八(1893年–1957年)は洋画家である。白馬会洋画研究所に学び岸田劉生とともに、1912年にフュウザン会の結成に参加した後期印象派以後の新美術の紹介にも尽力している。1915年には岸田劉生、中川一政らと草土社を結成した。木村荘八はエッセイも数多く残している。明治の東京にまつわるものも多いが、『東京今昔帖』はそのひとつである。東京の明和印刷で印刷されている。
【ひばり】日本の三大名探偵とは、江戸川乱歩の明智小五郎、横溝正史の金田一耕助と、あとひとりは高木彬光の神津恭介だ。『死を開く扉』(高木彬光著、浪速書房、1959年)にも神津恭介が登場する。テレビ朝日の2時間サスペンスの「探偵・神津恭介の殺人推理」シリーズでは、神津恭介を近藤正臣が演じていた。
亨有堂印刷で印刷している。
【ふじやま】和字書体「ふじやま」は、『明解国語辞典』(金田一京助監修、1943年、三省堂)の復刻版を原資料として試作している。この復刻版は、1997年に三省堂から刊行されたものだ。
【めじろ】『センサスの経済学』(児島俊弘・関英二著、農林統計協会、1964年)は、「1965年中間農業センサス副読本」とあるように、農業に関する統計調査の書物である。そこに現れた本文の書体は、高度成長期に出版された書物に見られる、豊満なスタイルの和字書体のひとつとしてとらえている。
【めぐろ】『センサスの経済学』には、ゴシック体で組まれたページもある。本文の近代明朝体と対になるようなゴシック体であった。制作にあたっては、ただ印刷された文字の外形線を忠実になぞるということではなく、その書風を理解しながら、現在の書体に求められている大きさや太さのバランス、傾き、寄り引きなどを修整していった。