2020年09月21日

「KOまどか毛晋M」のゆめがたり1

和字書体「まどか」のはなし

写真植字の石井中明朝体と組み合わされている和字書体のうち最初のものは1933年(昭和8年)に発売された書体で、のちに「オールドスタイル小がな」と呼ばれることになる。
石井中明朝体は、当時の主流のひとつであった東京築地活版製造所の12ポイント活字をベースにしたという。写植書体も実は明治時代の金属活字の復刻だったのだ。
「和字オールドスタイル」(後期)としては、繰り返しになるが、秀英舎鋳造部製文堂の活字から復刻した「はなぶさ」、活版製造所弘道軒の書体と混植された活字から復刻した「はやと」とともに、青山進行堂活版製造所の見本帳『富多無可思』(青山進行堂活版製造所、1909年)から復刻した「まどか」が挙げられる。
青山進行堂活版製造所『富多無可思』は、約300ページにもおよぶ線装(袋とじ)の書物である。青山進行堂活版製造所の創業20年を記念して発行されたもので、活字の見本帳であり、印刷機械などの営業目録でもある。
青山安吉による「自叙」が12ページにわたって書かれている。青山進行堂活版製造所の20年の沿革史であるとともに安吉の自伝といえるもので、四号楷書体活字で組まれている。
また、竹村塘舟による「跋」は、職工から独立して起業し成功した安吉にたいする賛辞がのべられているが、これは四号明朝体活字で組まれている。
四号楷書活字の和字書体と四号明朝活字の和字書体を比べてみると、漢字書体がことなっているだけでまったく同じものである。この和字書体を復刻したのが「まどか」である。
なので「まどか」の原資料は、四号楷書活字ということでも四号明朝活字ということでもどちらでもいいのだけれど、明朝のかなとされることを避けたいので、四号楷書活字ということにしておく。
posted by 今田欣一 at 08:16| Comment(0) | 6章:日本語書体12撰・第3期 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月18日

「KOきざはし金陵M」のものがたり5

日本語書体「きざはし金陵M」の誕生

「きざはし」は、2003年に「和字書体三十六景第2集」のなかの1書体として発売されていた。これに、漢字書体「金陵」、欧字書体「K.E.Taurus」を加えたのが「さきがけ龍爪M」である。漢字書体「金陵」、欧字書体「K.E.Taurus」は独立した活字書体としては発売されていない。
TrueTypeの「KRきざはし金陵M」は、「KRさおとめ金陵M」「KRあおい金陵M」とともに、2004年7月から「robundo type cosmique」にCD版での販売を委託した。ダウンロード方式での販売はその数年後である。
16世紀を代表する和字書体といえば、キリシタン版の『ぎや・ど・ぺかどる』(1599年)が相当するのであろうが、筆書きに近い「ばてれん」では系統が違うように感じた。それに対応する和字書体となると明治時代まで待たなければならない。私が推奨している『長崎地名考』(香月薫平著、虎與號商店、1893年)に見られる東京築地活版製造所の五号和字書体は、『南斉書』(1588年–1589年)、『ぎや・ど・ぺかどる』(1599年)に比べると300年もの時代差があるが、書体の分類上は一番揃っているように感じる。それほど活字書体としての和字書体の発展が遅れていたともいえる。
このほか、「和字書体三十六景・第1集」(2002年)の「KOかもめM」や、「和字書体三十六景・第2集」(2003年)の「KOはやとM」、「和字書体三十六景・第3集」(2005年)の「KOまどかM」に、漢字書体「金陵」、欧字書体「K.E.Taurus」を組み合わせることも考えられる。
KOかもめ金陵M(★)
KOきざはし金陵M
KOさおとめ金陵M
KOあおい金陵M
KOはやと金陵M(★)
KOまどか金陵M(★)
★は未発売


2020年09月17日

「KOきざはし金陵M」のものがたり4

欧字書体「K.E.Taurus-Medium」のはなし

現代の日本語書体は、和字書体・漢字書体・欧字書体が揃ってはじめて成立することになる。欧字書体も必要である。候補として、オールドローマン体を当てることにした。
候補の一つは、アルダス・マヌティウス(1449年–1515年)の工房の活字書体である。この工房において、多数のギリシャ・ローマ時代の古典文学を出版した。活字父型彫刻師フランチェスコ・グリフォ(1450年?–1518年?)の手になる活字書体は、ビエトロ・ベンボ(1470年–1547年)の著作『デ・エトナ』(1495年–1596年)に使われた。オールド・ローマン体の成立を決定づけるものといわれる。
フランチェスコ・コロンナ(1433年–1527年)の著作『ポリフィラスの夢』(1499年)の製作もアルダス工房で請け負っている。この書物では『デ・エトナ』に使われた活字を改刻して、大文字がより威厳を増している。
もうひとつの候補は、クロード・ギャラモン(?–1561年)の活字書体である。ギャラモンは、印刷人シモン・ド・コリーヌ(1470年?–1546年)らとともにアルダス工房の活字を分析して、フランス語に適するように試行錯誤を重ねていった。
完成したギャラモンの活字は、コリーヌの義理の息子ロベール・エティエンヌ(1503年–1559年)によって印刷された『ミラノ君主ヴィスコンティ家列伝』(1549年)など、パリの印刷人によって多くの書物にもちいられた。オールド・ローマン体の地位が確立していくことになる。
「きざはし」、「金陵」との組み合わせでは、ギャラモンの活字の方が好ましいように思われた。ギャラモン活字が使用されている『ミラノ君主ヴィスコンティ家列伝』から抽出したキャラクターをベースに、日本語組版に調和するように制作したのが「K.E.Taurus」である。

2020年09月16日

「KOきざはし金陵M」のものがたり3

漢字書体「金陵」のはなし(後)

欣喜堂で試作した明朝体は「金陵」、「嘉興」、「鳳翔」、「毛晋」の四書体である。この中から、まずは「金陵」か「嘉興」かのどちらかを制作することにした。
漢字書体「金陵」のベースにしたのは、南京国子監本『南斉書』である。わが国には、これとは別の『南斉書』がある。日本で覆刻されたので、これを和刻本『南斉書』と言っている。1703年(元禄16年)–1705年(宝永2年)に、川越藩柳澤家が荻生徂徠に命じて、南京国子監本『南斉書』を、返り点をつけたうえで覆刻したものだそうだ。汲古書院から出ている「和刻本正史シリーズ」は、これらの影印である。『和刻本正史 南齊書』(長澤規矩也 編、汲古書院、1984年)もこのシリーズに含まれている。
中国の原本と比べると日本の覆刻はかなり見劣りがする。もともと欣喜堂の「漢字書体二十四史」は中国の刊本のなかから選定したものである。「金陵」は南京国子監本『南斉書』をベースにしており、和刻本『南斉書』は参考にしていない。
漢字書体「嘉興」のベースにしたのは、楞厳寺版『嘉興蔵』である。楞厳寺版『嘉興蔵』を、1678年(延宝6年)に覆刻したのが、鉄眼版『一切経』である。鉄眼は、日本に流布している大蔵経がないので、隠元を訪ねて楞厳寺版『嘉興蔵』をもらい受けたという。この鉄眼版『一切経』の版木は萬福寺・宝蔵院に納められており、国の重要文化財に指定されている。
とは言え、川越の明朝体(和刻本『南斉書』)が、宇治の明朝体(鉄眼版『一切経』)ほどには知られていないのは残念だ。どちらも中国の刊本の覆刻であることに違いはない。明朝体は中国で発展してきたものであり、中国から輸入されたものなのだ。

日本語としてどちらが使いやすいかを考えて、まず「金陵」を制作することにした。「きざはし」の原資料『長崎地名考』は近代明朝体との組み合わせだが、動的な結構は「金陵」に合うように思われた。
できるだけ原資料を忠実に「再生」しようとして、独自の解釈はしないように心がけた。それでもなおかつ、そこに自分の筆跡のようなものが醸し出されているとしたら、それが真の個性というべきものなのかもしれない。
名称は「金陵」である。「正調明朝体」というのは書体名ではなくて、キャッチフレーズなのだ。朗文堂でCDジャケットを作成するときに、「明朝体」という語をつけないと売れないということで、このキャッチフレーズになった。
総合書体のフォントデータには、書体名「KOきざはし金陵M」「KOあおい金陵M」「KOさおとめ金陵M」、コピーライト「有限会社今田欣一デザイン室」と入っている。登記の際に深く考えず「有限会社今田欣一デザイン室」としてしまったが、今では「欣喜堂」にしておけばよかったなと思っている。
CDR版については、CDジャケットはもちろん、朗文堂ウェブサイトはもちろん、ブックレットなども朗文堂で作成していただいている。最初のブックレットの「まだ四角四面は好きですか?」というフレーズではじまるテキストは朗文堂によるものだ。朗文堂の主張を色濃く反映した文章は、制作者ではとても書くことのできないものだ。販売促進のためには、ある程度のインパクトは必要なのだ。
ユーザーにアピールするためには、現在の状況から考える必要がある。現代の本文用明朝体にたいしての「正調明朝体」であり、「まだ四角四面は好きですか?」という問いかけである。現代の本文用明朝体との違いをあきらかにして販売を促進しようという作戦なのである。
ユーザーからは「明朝体を手書き風にした書体」というコメントが実に多いのだ。現在の明朝体から見れば、決して間違いではない。使用する上では、南京国子監の『南斉書』を復刻したものであることなど、あまり関係ないのだろう。
ただ制作者としては、純粋に「中国・明代の刊本字様を、現代の日本語組み版で使えるようにしたい」ということだけだったのである。歴史的には、明朝体を手書き風にした書体ではなく、宋朝体を直線的にした書体である。ましてや意図的に抱懐を締めて、古拙感を出そうとしたのでもない。この意味で「正調明朝体」というキャッチフレーズは合っているのだろう。
「金陵」という復刻書体について、「個性を感じる」というコメントがあった。もちろん、原資料そのままの「再現」ではなく、現代の活字書体としての適性を考慮した「復刻」ではある。それでも復刻書体なので、むしろ没個性だと思っていた。
できるだけ原資料を忠実に「再生」しようとして、独自の解釈はしないように心がけた。それでもなおかつ、そこに自分の筆跡のようなものが醸し出されているとしたら、それが真の個性というべきものなのかもしれない。

2020年09月15日

「KOきざはし金陵M」のものがたり2

漢字書体「金陵」のはなし(前)

「きざはし」は、和字書体三十六景第2集(2003年)のなかの一書体として発売された。これに組み合わせて使用できる漢字書体を制作することにし、中国・明代の代表的な刊本字様(監本・藩刻本・家刻本・仏教刊本)のうちからひとつを選び出すことにした。
明朝体とは中国の明代(1368年–1644年)の木版印刷にあらわれた書体である。1553年(嘉靖32年)に刊刻された『墨子』は、宋朝体から明朝体へと変化する過程にある書体なので、プレ明朝体といえる。
中国・明王朝は、朱元璋(1328年–1398年)が蒙古族の元王朝をたおして、現在の南京に建朝した。朱元璋は明王朝の初代皇帝で、洪武帝(太祖)ともいう。洪武帝の第4子・朱棣(しゅてい)(1360年–1424年)は現在の北京に燕王として封じられていたが、南京を攻略して第3代皇帝、永楽帝(成祖)となった。永楽帝は、のちに南京から北京に遷都した。
明王朝の正徳・嘉靖年間(1506年–1566年)には、印刷物は貴族や官僚だけのものではなくなり、経済が豊かになった庶民の媒体になった。小説や戯曲などの趣味や娯楽のジャンルの刊本が多く出版されている。
なお、清代後期の「近代明朝体」活字に対して、明代の刊本字様を「古明朝体」ということもある。

木版印刷の三大系統とは、官刻(政府出版)・家刻(個人出版)・坊刻(商業出版)である。このほか、仏教版本を別系統にする場合がある。明代には中央・地方の官刻本だけではなく、家刻本、坊刻本などにおいてもさかんに出版事業がおこなわれた。
明朝後期の万暦年間(1573年–1619年)から刊本の数量が急速に増加し、製作の分業化が促進された。このことにより明朝体の成立に拍車をかけた。印刷書体としての観点から、四大明朝体(私案)としてまとめておきたい。つまり明朝体ベスト4である。

[監本(官刻)]
隋以後、貴族の子弟や世間の秀才を教育した国家経営の学校を「国子監」という。監本とは国子監で出版したものに対する呼称である。現存する量の多さから、現在では一般的に監本といえば明の国子監本をさし、南京国子監が出版する本を南監本と呼ぶ。
南京国子監で刊行された書物のうち代表的なものとしては『二十一史』と『十三経』があげられる。明代の1588年(萬暦16年)–1589年(萬暦17年)に南京国子監で刊行された『南斉書』は、中国の二十一史のうちの南斉の正史である。高帝・建元元年(479年)から和帝・中興2年(520年)の南斉の歴史が記されている。

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[藩本(官刻)]
明代においては、中央機関のほかに地方での官刻も盛んに行われた。豊かな経済力と地方政府の権威によって優秀な文人や刊刻職人が招聘されたので、藩王府の刊行した書物は、原稿、校正、彫版、印刷などの品質が高かったようだ。
鄭藩世子朱載堉(しゅさいいく 1536年–?)が刊行した音楽の著作『楽律全書』(1595年)は、藩刻本の代表作のひとつだ。中国音楽における十二音律の研究で、15種48巻の書物である。その時代の音楽理論研究の最先端をいくものだといわれる。

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[家刻本]
明末清初の代表的蔵書家であり出版者として知られているのが毛晋(1599年–1659年)である。毛晋は、家族から継承した豊かな財産を書物の収集と刊本の出版に投入した。汲古閣という専門の建物には八万四千冊の書物が収蔵され、汲古閣に設けた刊刻専用の建物では、刻書、印刷、装丁などの作業が行われ、650種以上の刊本が出版された。それらは「汲古閣本」「毛本」などと呼ばれ、現在に至るまで良質のテキストとして広く流通している。宋代に刊刻された書物の多くが、毛晋の手を経て今に伝わっており、文化の保存と伝播に大きく貢献したといえる。
毛氏汲古閣の出版物において、もっとも世に知られているのは書写の風格のある明朝体であり、『宋名家詞』(1626年–1644年、毛氏汲古閣)がその代表例である。

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[仏教刊本]
大蔵経とは仏教の聖典を総集したものである。経蔵・律蔵・論蔵の三蔵を中心に、それらの注釈書を加えたものとされる。略して蔵経とも、あるいは一切経ともいわれている。
一般に明版大蔵経といわれる『嘉興蔵』(万暦版、楞厳寺版とも)は、方冊型で見易いところから広く用いられた。明末の禅僧・紫柏真可(1543年–1603年)門下の密蔵道開らの発願により、1589年(萬暦17年)に嘉興府楞厳寺(りょうごんじ)で開版されたものである。

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[坊刻本]
官刻本や家刻本には経典、歴史、文学者の詩文が中心であり、大衆の求める小説、実用書、百科事典などの類はあまり多くはなかった。この面の不足を補ったのが坊刻本である。明代の書坊は、南京、建陽、杭州、北京などの地区に集中していた。