2020年09月14日

「KOきざはし金陵M」のものがたり1

和字書体「きざはし」のはなし

東京築地活版製造所の見本帳『活版見本』(1903年)の口絵として、銅版印刷による工場全景の図版が掲載されている。この場所が現在どうなっているのか、同じところから写真を撮ってみようと思い立った。
かつての築地川は首都高速道路になっている。つまり、道路の川底を自動車が走っているということなのだ。築地川にかかる万年橋は首都高速道路の上にあり、その周囲は「中央区立築地川銀座公園」として整備されている。
図版の写真が撮られたと思われる場所は、高いフェンスで覆われていて近づくことさえできない。それでもフェンスまでたどり着く場所をみつけて、カメラをフェンスの隙間に差し込んだ。図版の位置より少し左の位置からになってしまったが、どうにか撮影することができた。
東京築地活版製造所は現在コンワビルが建っているところにあった。その跡を示す「活字発祥の碑」がその敷地内に建てられている。

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1999年に府川充男氏による3回連続セミナーが開催され、私はそのすべての回に参加することができた。そのときの配布資料のなかに『長崎地名考』の図版があった。これだと思い、市立図書館で調べてもらったら、日本大学文理大学図書館で所蔵しているということがわかった。市立図書館を通じて借用し20ページほど複写することができた。これが「きざはし」の原資料となった。
『長崎地名考』(香月薫平著、虎與號商店、1893年)は、上巻・下巻・附録の3冊からなっている。上巻は「山川之部」、下巻は「旧蹟之部」、附録は「物産之部」となっている。印刷所は東京築地活版製造所。いわゆる築地活版前期五号活字書体として、漢字書体の近代明朝体と組み合わされている。
明治時代の金属活字の和字書体に共通するのは、江戸時代の木版印刷字様(和字ドーンスタイル)がもっていた彫刻風の粗々しさが少なくなり、丸みを帯びた動きのある書風にと変化しているということだ。これを和字オールド・スタイルとする。
和字オールド・スタイルのうち、東京築地活版製造所の活字から「きざはし」、国光社独自の活字書体から「さおとめ」を制作した。また、官業活版の源流を受け継いだ内閣印刷局(現在の国立印刷局)の活字から復刻した「かもめ」もこの範疇ということにした。これらを「和字オールド・スタイル」(前期)とした。「あおい」は「和字ドーン・スタイル」としたが、もともと明朝体風の漢字書体と組み合わされていた書体である。悩ましいところだ。
出自は明らかではないが活版製造所弘道軒の書体と混植されたとみられる活字から「はやと」、東京築地活版製造所と並び称せられる秀英舎鋳造部製文堂の活字から「はなぶさ」、青山進行堂活版製造所の見本帳から「まどか」を制作した。これらの和字書体もまた丸みを帯びた動きのある「和字オールド・スタイル」(後期)ということにする。
明治時代に制作された書体の中で、「和字オールド・スタイル」(前期)のうち築地活版製造所五号活字の「きざはし」を選んだ。この書体がいちばんその時代の書風があらわれていると感じたからである。
「きざはし」は最初から字面を小さく設計してある。このカテゴリーに属する和字書体は、近代明朝体と組み合わせると少し小さめになる。