写真植字の石井中明朝体と組み合わされている和字書体のうち最初のものは1933年(昭和8年)に発売された書体で、のちに「オールドスタイル小がな」と呼ばれることになる。
石井中明朝体は、当時の主流のひとつであった東京築地活版製造所の12ポイント活字をベースにしたという。写植書体も実は明治時代の金属活字の復刻だったのだ。
「和字オールドスタイル」(後期)としては、繰り返しになるが、秀英舎鋳造部製文堂の活字から復刻した「はなぶさ」、活版製造所弘道軒の書体と混植された活字から復刻した「はやと」とともに、青山進行堂活版製造所の見本帳『富多無可思』(青山進行堂活版製造所、1909年)から復刻した「まどか」が挙げられる。
青山進行堂活版製造所『富多無可思』は、約300ページにもおよぶ線装(袋とじ)の書物である。青山進行堂活版製造所の創業20年を記念して発行されたもので、活字の見本帳であり、印刷機械などの営業目録でもある。
青山安吉による「自叙」が12ページにわたって書かれている。青山進行堂活版製造所の20年の沿革史であるとともに安吉の自伝といえるもので、四号楷書体活字で組まれている。
また、竹村塘舟による「跋」は、職工から独立して起業し成功した安吉にたいする賛辞がのべられているが、これは四号明朝体活字で組まれている。
四号楷書活字の和字書体と四号明朝活字の和字書体を比べてみると、漢字書体がことなっているだけでまったく同じものである。この和字書体を復刻したのが「まどか」である。
なので「まどか」の原資料は、四号楷書活字ということでも四号明朝活字ということでもどちらでもいいのだけれど、明朝のかなとされることを避けたいので、四号楷書活字ということにしておく。