2020年10月30日

「KOみなもと方広M」のものがたり5

日本語書体「みなもと方広」の誕生

「みなもとBK」は、和字書体十二勝(2019年)のなかの一書体として発売された。これに、漢字書体「方広BK」、欧字書体「K.E.Pisces-Black」を加えたのが「KOみなもと方広BK」である。

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「KOみなもと方広BK」は、「KOたまゆら方広BK」、「KOことのは方広BK」とともに、「designpocket」をはじめ、「Font Garage」「Aflo Mall」「Font Factory」で販売する予定である。
KOみなもと方広BK
KOたまゆら方広BK
KOことのは方広BK

2020年10月29日

「KOみなもと方広M」のものがたり4

欧字書体「K.E. Pisces-Black」のはなし

スラブ・セリフ体の先駆としてあげられる書体に「アンティーク(Antique)」があげられる。ジョゼフ・ジャックソン(1733–1792)の弟子ヴィンセント・フィギンス(1766–1844)によって1815年に制作された。わが国では「アンチック」とも呼ばれている。
キャズロン活字鋳造所で働いていたトーマス・コットレ(?–1785)の弟子ロバート・ソーン(1754–1820)の制作したスラブ・セリフ体は、ウィリアム・ソローグッドによって「エジプシャン(Egyptian)」と名づけられ、1820年に売りだされた。当時のイギリスのエジプト・ブームに便乗した命名だったそうである。
ロバート・ベズリによる「クラレンドン(Clarendon)」は1845年にイギリスのファン・ストリート活字鋳造所でうまれた。その名称はオックスフォード大学の印刷所だったクラレンドン・プレス(大学の総長をつとめたクラレンドン伯爵を冠する)に由来するといわれている。このことから、オックスフォード大学が出版する辞書のために作られたという説もある。
和字書体「みなもと」、漢字書体「方広」に組み合わせる欧字書体として、「アンティーク」「エジプシャン」「クラレンドン」の中から、わが国でもっとも知られている「クラレンドン」を選んだ。
『印刷活字総合見本帳』(ファン・ストリート活字鋳造所、1857年)所収の組み見本から抽出したキャラクターをベースに、日本語組み版に調和するように制作したのが「K.E. Pisces-Black」である。

2020年10月28日

「KOみなもと方広M」のものがたり3

漢字書体「方広」のはなし(後)

「方広BK」は、『大方廣佛華巖経』をもとに翻刻した書体で、そのカテゴリーは「経典体」もしくは「中世安竹体」としている。
デジタルタイプ化にあたり、「方広BK」は本文と同じサイズでの使用、さらには和字アンチック体との混植を前提条件としている。そのために、原資料を生かしながら、大きさ、太さ、形などを調整している。

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「方広BK」のように、本文と同じサイズでの使用を想定している超極太書体の場合には、最狭間隔のコントロールがことさら重要になる。そのサイズで線間が潰れてしまわないように、テストしたうえで最狭間隔の数値を設定し、実際の制作にあたっては計測しながら調整していく。とりわけ四角、三角になる小さな空間は要注意である。
一方で、大きいサイズでの使用もあり得るので、不自然に見えるほどの画線の太さの差を作ることは避けたいところだ。そういう点に留意しながら制作している。



2020年10月27日

「KOみなもと方広M」のものがたり2

漢字書体「方広」のはなし(前)

小学生向けの漢字辞典として『例解学習漢字辞典 第七版』(藤堂明保編、小学館、2010年11月24日)がある。小学生向けだが中学生でも十分に参照できる情報量を持っている辞典である。この見出し書体は一般の漢和辞典とはことなり、(教科書体を太くしたような)「特太の楷書体」である。
ふと思ったのが、国語辞典、漢字辞典、英和辞典の見出し書体と本文書体を、ひとつの日本語書体(和字書体・漢字書体・欧字書体)で作れないかということである。
漢字書体の候補として、中国・宋代の仏教経典『大方廣佛華巖経』(990–994年、龍興寺)を見つけ出した。それをもとに試作したのが「方広BK」である。
中国の印刷の初期において、仏教経典で用いられたのは荘厳で権威的なイメージのある肉太の字様だった。仏教経典の印刷は唐代から行われているが、時代と地域を越えて、経典の形態、字様、版式に大きな変化はみられないという。
『華厳経』は、すでに成立していた別々の独立経典を四世紀中ごろ以前に中央アジアのコータンあたりにおける大乗仏教の人々によって集成され編纂されたものだ。武則天(623–705)は、旧訳の華厳経に不備があるというので使者を派遣して梵本を求めさせ、あわせて訳経者も捜させた。実叉難陀(652–710)を洛陽に呼び大偏空寺で訳経させた。その漢訳経題を『大方廣佛華巖経』という。
このような仏教経典・儒教経典にもちいられている肉太の字様を「経典体」ということにしよう。「経典体」は「安竹体」のルーツではないが、ルーツだと思わせる形象だと思っている。

2020年10月26日

「KOみなもと方広M」のものがたり1

和字書体「みなもと」のはなし

国語辞典の見出し語も、最近ではゴシック体で組まれることが多くなってきたようだが、少し前まではほとんどの辞書がアンチック体で組まれていた。アンチック体は、国語辞典だけでなく、漫画の吹き出しや、絵本などでも多く使われている。
「小学館アンチック」という書体は、『例解学習国語辞典 第九版』(金田一京助編、小学館、2010年11月19日)のために、小学館国語辞典編集部からの依頼により、欣喜堂で新しく制作したアンチック体である。
欣喜堂では、和字アンチック体のカテゴリーに含まれる書体として、『辞苑』(新村出編、博文館、1935年)から再生した「ことのは」(和字書体三十六景)を、さらに『言海』(大槻文彦著、六合館、1931年)から再生した「たまゆら」(和字書体十二勝)を制作していた。いずれも辞書の見出し語に使われていた書体である。
ある人から、アンチック体の初期のものが『新撰讃美歌』(植村正久・奥野昌綱・松山高吉編輯、警醒社、1888年)に使われているようだと教えられた。さっそく国立国会図書館から複写物を取り寄せたが、江戸文字に近く、現在の和字アンチック体のイメージとは異なっていた。しかも字数が不足していた。
しばらくはそのままにしていたが、よく見ると魅力的に思えてきた。これをもとにして「みなもとBK」という書体として再生することにした。