漢字書体「端午」のはなし(未制作)「めぐろ」と組み合わせる漢字書体は、「めじろ」と同じように制作しようと考えていた。『座右之友』(東京築地活版製造所、1895年)、『中国古音学』(張世禄著、上海・商務印書館、1930年)、『瞿秋白文集』(瞿秋白著、北京・人民文学出版社、1953年)に使われているゴシック体を候補とした。
『座右之友』(東京築地活版製造所、1895年)『座右之友』には「五號ゴチック形文字」とともに「五號アンチック形文字」が掲載されている。他にいい参考資料が存在せず、サンプル数も少ないが、漢字書体の古いゴシック体、アンチック体がラインナップにほしいと思い、試作しておくことにした。
とりわけ漢字書体のアンチック体を再生したいと思った。ゴシック体は漢字書体として普及していったのに対して、アンチック体の漢字書体はまったく見られないからである。和字書体のみの書体とみなされ、ゴシック体の漢字書体との混植によってのみ生き残ることとなり、あげくは太明朝体と組み合わされている和字書体と混同されることもあるのだ。
試作にあたっては、『BOOK OF SPECIMENS』(平野活版製造所、1877年)に掲載されている欧字書体としてのアンチック(Antique)とゴシック(Gothic)を意識した。ここにあるアンチック(Antique)とは、スラブセリフと呼ばれるカテゴリーに属する書体のようである。漢字書体のゴシック体、アンチック体と名称が共通しており、浅からぬ関係を感じたのである。
漢字書体のゴシック体、アンチック体は、もともとは隷書体や江戸時代の看板文字などを参考にしたようにも思われるが、より現代的に解釈することにした。中国においてゴシック体は「黒体」という。
『中国古音学』(張世禄著、上海・商務印書館、1930年)「めぐろ」と組み合わせる漢字書体は、「めじろ」と同じように、まず『中国古音学』のゴシック体(黒体)をベースにして制作しようと考えていた。
1930年代にはゴシック体は見出し用として少しずつ定着していったようだ。『中国古音学』の本文は近代明朝体であるが、その表紙にはゴシック体が用いられている。
しかしながら字数が少なかった。同時代に商務印書館から出版された書物に使われているゴシック体を探したが見つからなかった。
『瞿秋白文集』(瞿秋白著、北京・人民文学出版社、1953年)たまたま日本国内の古書店で、『瞿秋白文集』を見つけた。太平洋戦争後に出版された縦組み繁体字の書物である。
出版の時期は異なっているものの、見出しにゴシック体(黒体)が使われていた。見出しを集めると100字以上の字種がある。この書物をベースにしようと思った。
『座右之友』の「五號ゴシック形」に比べ、ゴシック体としての味わいを増しているようだ。これを「端午」として試作することにした。