2020年11月03日

「KOさがの臨泉M」のゆめがたり2

漢字書体「臨泉」のはなし(未制作)

和様体とは中国(隋・唐)から伝来した真書(楷書)・行書・草書とはことなった日本固有の書体である。
平安中期に「ひらがな」が成立すると漢字もまた和様化がすすんだ。漢字かな交じり文で書くとき、どうしても中国古典の漢字書体、行書体・草書体では違和感があるように思えた。和字カーシヴとの組み合わせにおいて、日本独自の書体である「和様体」をひとつのカテゴリーとして立てておくことにする。
和様漢字の系統としては、平安中期の藤原行成の子孫によって継承された書法の流派「世尊寺流」、平安後期の藤原忠通を祖とする法性寺流、鎌倉末期の尊円法親王の青蓮院流がある。
江戸時代になると青蓮院流は御家流と呼ばれて、調和のとれた実用の書として広く一般大衆に定着していった。徳川幕府は早くからこの御家流を幕府制定の公用書体とし、高札や制札、公文書にもちいるように定めた。さらに寺子屋の手本としても多く採用されたことで大衆化して、あっという間に全国に浸透した。
御家流の見本として往来物があげられる。往来物とは江戸時代に寺子屋などで用いる各種の教科書類を称する。庶民の文化と生活の発達や寺子屋の普及に伴い、『商売往来』『百姓往来』『職人往来』などをはじめとする多種多様のものがつくられた。

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『御家千字文』(江戸書林、1814年)は、御家流臨泉堂(生没年不詳)書によるものである。御家流のもっとも大きな特徴は、Sを横に寝かせたようなうねりをもっていることである。この見本から漢字書体「臨泉」を試作している。

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2020年11月02日

「KOさがの臨泉M」のゆめがたり1

和字書体「さがの」のはなし

和字書体「さがの」は、和泉書院影印叢刊27『伊勢物語 慶長十三年刊嵯峨本第一種』(片桐洋一編、和泉書院、1981年)を参考にして制作した。

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角倉素庵が、本阿弥光悦らと寛永以前の慶長・元和(1596–1624)にかけて刊行した嵯峨本は、おもに木活字をもちいて用紙・装丁に豪華な意匠を施した美本であった。
角倉素庵(与一、1571–1632)は、事業家・角倉了以の長男である。父の事業を継いで海外貿易・土木事業を推進した素庵は、また文化人としても卓越した業績を残している。晩年になって嵯峨に隠棲した素庵は数多くの書物を刊行したが、これを出版地の名称にちなんで嵯峨本といい、『伊勢物語』など一三点が現存している。
嵯峨本は雲母模様を摺った料紙を使用するなどした、豪華な装幀が特徴である。また従来の漢文の書籍に対して、古典文学の出版の道を開き、また冊子に純粋な日本画を挿入する様式を決定するなどの、江戸時代の出版文化の隆盛に画期的な役割をはたしたという。

嵯峨本にも『方丈記』がある。『伊勢物語』と同じくひらがな本だ。影印本としては『方丈記』(山岸徳平編、新典社、1970年)がある。一方、大福光寺所蔵本『方丈記』(1244年)はカタカナ本である。『伊勢物語』と同じくひらがな本だ。カタカナは影印本の『方丈記』(武蔵野書院、1959年)を参考にして制作した。
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