和様体とは中国(隋・唐)から伝来した真書(楷書)・行書・草書とはことなった日本固有の書体である。
平安中期に「ひらがな」が成立すると漢字もまた和様化がすすんだ。漢字かな交じり文で書くとき、どうしても中国古典の漢字書体、行書体・草書体では違和感があるように思えた。和字カーシヴとの組み合わせにおいて、日本独自の書体である「和様体」をひとつのカテゴリーとして立てておくことにする。
和様漢字の系統としては、平安中期の藤原行成の子孫によって継承された書法の流派「世尊寺流」、平安後期の藤原忠通を祖とする法性寺流、鎌倉末期の尊円法親王の青蓮院流がある。
江戸時代になると青蓮院流は御家流と呼ばれて、調和のとれた実用の書として広く一般大衆に定着していった。徳川幕府は早くからこの御家流を幕府制定の公用書体とし、高札や制札、公文書にもちいるように定めた。さらに寺子屋の手本としても多く採用されたことで大衆化して、あっという間に全国に浸透した。
御家流の見本として往来物があげられる。往来物とは江戸時代に寺子屋などで用いる各種の教科書類を称する。庶民の文化と生活の発達や寺子屋の普及に伴い、『商売往来』『百姓往来』『職人往来』などをはじめとする多種多様のものがつくられた。
『御家千字文』(江戸書林、1814年)は、御家流臨泉堂(生没年不詳)書によるものである。御家流のもっとも大きな特徴は、Sを横に寝かせたようなうねりをもっていることである。この見本から漢字書体「臨泉」を試作している。