大通公園・札幌市時計台・北海道庁旧本庁舎
ミーティングの後、定番の観光地を巡ることにした。大通公園を抜けて札幌市役所へ向かう。札幌市役所には札幌の礎を築いた開拓判官、島義勇(しまよしたけ)の銅像があるという。受付でどこにあるか尋ねる。「それでしたら、こちらにあります」と教えてくれた。なんと玄関フロアのすぐ右手にあった。聞くまでもなかったのだ。
河 水 遠 流 山 峙 隅 河水遠くに流れて山隅にそばだつ
平 原 千 里 地 膏 腴 平原千里地は膏腴(こうゆ)
四 通 八 達 宜 開 府 四通八達宜しく府を開くべし
他 日 五 州 第 一 都 他日五州第一の都
銅像の下のプレートにはこのような漢詩が記されている。札幌に入った島義勇が札幌・円山のコタンベツの丘に登り、この地に本府を造ろうと決意した時に詠んだ詩である。情熱を持って実行に着手しようとする熱意が伝わってくるようである。
再び市街に出る。五月というのにすごく寒い。札幌観光の定番中の定番、札幌市時計台(旧札幌農学校演武場)と、赤レンガ庁舎(北海道庁旧本庁舎)を見学。多くの見学者が訪れていた。
北海道大学総合博物館
夕方になると、5月の札幌は肌寒い。最後に、北海道大学へ。北海道大学総合博物館を見学する。
順路に従い、まずは1階から2階では北海道大学を紹介する展示である。「北大の歴史」、「北大のいま(挑戦する北大、北大の学び舎、北大の探究心)」と続いている。
2階は「感じる展示室」。鉱石・鉱物・岩石、動物などの標本に実際に触れることができる展示である。3階は「収蔵標本の世界」で、地質学分野、生物分類学分野、考古学分野、科学技術史分野、医学分野の学術資料が多数展示されている。
[札幌ほしくずナイト]
宿泊先のホテルさっぽろ芸文館で、「日本語書体十二撰」の構想について考える。
イメージナビ株式会社の「designpocket」では、伝統に基づいた新たな活字書体「欣喜堂の日本語書体八策」ということで、ウェブサイトやSNSで広報している。その説明文では、次のようにまとめられている。
「日本語書体八策シリーズ」は「欣喜堂」の核となるもので、日本と中国、欧米の古い書物などから復刻した和字書体と漢字書体、欧字書体を組み合わせ、伝統に基づいた新たな活字書体を制作している。
もともとは、和字書体(ひらがなとカタカナ)の歴史的、造形的に網羅したいと考えていた。日本にも、中国や西洋に負けないぐらいの印刷書体(活字体だけでなく木版印刷の字様も含めて)が残されているので、それらをあたらしい時代の息吹によってよみがえらせ、実際に使用できるようにするという構想である。
ところが日本語は和字書体だけでは文章を組むことができない。和字書体に合わせた漢字書体、欧字書体が必要なのである。これらを制作するにあたって、和字書体と同じように中国、西洋、それぞれの書物から漢字書体、欧字書体を再生することが必然のように思われた。
そして、それらをあらかじめ組み合わせようと考えたのが「日本語書体八策」だったが、それが「核」と言われるようになった。
「日本語書体八策」の構想では和字書体と漢字書体のベースにした書体が成立した時代が異なっているが、両者が調和することを優先した。
明治時代の和字書体と東晋代の漢字書体を組み合わせた「くらもち銘石B」とそのファミリーとして「くらもち銘石M」、明治時代の和字書体と北宋代の漢字書体を組み合わせた「みなもと方広BK」を制作した。
安土桃山時代の和字書体に元代の漢字書体を組み合わせた「ばてれん志安M」を制作した。「日本語書体四坐」になるが、安土桃山時代の和字書体と江戸時代の漢字書体(御家流)を組み合わせた「さがの臨泉M」がある。
そして、江戸時代の和字書体に宋代の漢字書体を組み合わせた「さきがけ龍爪M」と「ひふみ陳起M」を制作した。
北海道開拓の村
翌5月11日は、北海道開拓の村へ行く。明治初期から昭和初期までの北海道各地の歴史的建造物を移築復元し再現した野外博物館である。文化の流れを示す建造物を保存し後世に永く伝えることを目的として、1983年に開村された。
旧札幌停車場から入場し、まず旧小樽新聞社を見学した後、屯田兵定食で腹ごしらえ。
〈旧小樽新聞社〉
午後からは、市街地群に分類されている旧開拓使工業庁舎、旧北海中学校、旧有島家住宅などを見学。
〈旧北海中学校〉
〈旧有島家住宅〉
農村群、漁村群、山村群をゆっくりとまわり、最後に旧札幌札幌師範学校武道場、旧札幌農学校寄宿舎というコースで、とにかくぐるぐる歩き回ったのであった。
〈旧札幌農学校寄宿舎〉