2022年04月16日

[本と旅と]塙保己一ものがたり(2022年春の旅)


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『眼聴耳視 塙保己一の生涯』とともに

塙保己一、渋沢栄一、荻野吟子を埼玉三偉人というそうだ。この中で塙保己一については名前だけは知っていたものの業績についてはほとんど知らなかった。2022年冬の旅で国立公文書館の展示で塙保己一を紹介するパネルがあり、興味をもつようになった。2022年春の旅では塙保己一をめぐって、埼玉県本庄市と東京都渋谷区を訪ねた。


塙保己一の里(塙保己一旧宅・塙保己一公園)
2022年4月10日(日曜日)午前

JR八高線の児玉駅で下車。スマートホンの地図アプリを頼りに30分ぐらい歩いて、やっと本庄市教育委員会の「塙保己一の里」散策マップの看板を見つけた。このルートに従って散策することにする。

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「塙保己一旧宅」が中心になるだろう。塙保己一がここで生まれ、少年時代を過ごした。茅葺の入母屋造りで、江戸時代中期の上層農家の形態をうかがうことのできる建造物である。国指定史跡になっているが、現在も子孫の方が暮らしているらしく、布団や洗濯物が干してあった。

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近くに「塙保己一公園」がある。小さな公園に、「塙保己一墓所」と「塙先生百年祭記念碑」がある。「塙先生百年祭記念碑」は、澁澤榮一・題額、芳賀矢一・撰、坂正臣・書、伊藤仁作・刻と記されている。

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子どもの頃によく遊んでいた龍清寺、御霊稲荷神社を回る。『眼聴耳視 塙保己一の生涯』(花井泰子著、紀伊国屋書店、1996年)には次のように書かれている。

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昼間、家中の者が野良へ出かけてしまうと、足は自然に龍清寺に向かってしまう。小さな子どもたちと一緒に和尚の話を聞き、子どもたちが帰った後は、和尚からいろんな書を読んでもらえるのが大きな楽しみだった。
どんな書物も一度聞いたら忘れることはなかった。家に帰っても何度も声を出して繰り返し、意味のわからないところは、父に問いかけた。
「お父っつぁんにも解らんなあ。あした、和尚様にうかがってみな」



塙保己一記念館
2022年4月10日(日曜日)午後

居酒屋ほりぐちという店でランチ(海鮮丼)を頂いたあと、「塙保己一記念館」へ向かう。

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「塙保己一記念館」は2015年にリニューアルオープンした、八角形の展示室である。壁面は煉瓦積み、手すりは敷地内にあった桜の木を再利用したそうだ。解説板は版木を模して、触って読めるようになっている。音声ガイドもある。

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「4章 群書類従と版木」のコーナーでは、『群書類従』の正編666冊が25部門に分類されて展示されている。版木は「塙保己一史料館」に保管されている。関東大震災の時に50枚破損して作り直しているが、破損したうちの2枚が記念館に展示されていた。

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「5章 和学講談所」のコーナーでは、「和学講談所」の模型が見どころだ。和学講談所跡は都指定旧跡になっているが、標柱、説明板は管理者の保管となっており非公開である。和学講談所は1793(寛政5)年に設置され、1805(文化2)年に移転、1868(慶応4)年に廃止されるまで、和学の教授が行われた。

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和学講談所の建築が許可されるときの背景について、『塙保己一の生涯』には次のように書かれている。

寛政以来、老中松平忠信が中心となって文化的改革が実施されたが、その中で林家の私塾を「昌平坂学問所」として官立化している。林家は朱子学を中心に学問の面の支配をしてきたが、この時に和学の科目が廃止されていた。
おりしも本居宣長は『古事記伝』の刊行を続けており、人々の間には国学に対する関心も高まりつつあった。このような時期であったからこそ和学の機関を必要としていた幕府の、保己一に対する理解と配慮があったのだろう。


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塙保己一史料館
2022年4月11日(月曜日)午前

渋谷駅から国学院大学の学生に混じって、徒歩で温故学会会館へ向かう。塙保己一座像が迎えてくれた。

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温故学会会館は、『群書類従』の版木(国重要文化財、17,244枚)を管理・保存する目的で建築された。だから「塙保己一史料館」とは版木倉庫なのである。募金箱のような箱に入館料100円を入れると、係の人が版木について丁寧に説明してくれた。

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鉄筋コンクリート2階建てで、向かって右側は1階・2階とも版木倉庫、左側は1階が事務室など、2階が講堂となっている。1927(昭和2)年3月に完成したというから、築百年になる。空襲にも耐えた、ずっしりとした風格のある建築物である。
開板の資金の拝借を幕府に願い出て許可されたときの様子を『塙保己一の生涯』では次のように記している。

「屋代殿も板下がきが忙しくなりますな」
「腕のよい板木師も集めなければな」
喜びに満ちた門人たちのやりとりは尽きない。講談所の中は、今まで以上に活気づいた。すでに名をなしていた板木師の宮田六左衛門や江川八左衛門も、保己一の仕事を手がけてくれており作業は順調に進んでいった。


史料館内に掲示されている説明文には、「版下浄書者=屋代弘賢、大田南畝、町田清興、羽州亀田城主岩城伊予守、関口雄助、保己一の妻安養院、娘とせ、ほか。版木彫刻者=宮田六左衛門、江川八左衛門、戸川光成、ほか。版木摺立者=名古屋吉右衛門、大脇常蔵、大脇常雄、日本橋小鉄、ほか」とある。

『群書類従』は1819(文政2)年に全巻が完結したので、温故学会は版行二百年記念として2018年より、所蔵の文化財版木によって『徒然草』および『伊勢物語』『竹取翁物語』『土佐日記』を限定部数で特別頒布をしている。ちょっと高いと思ったが、一番手頃な『竹取翁物語』を購入した。

「さあ、かくれんぼの次ぎには物語りをしてあげようかな」
「わあーい、はやくきかせて、どんなお話?」
「そうだな『竹とりの翁』がいいかな』
「父様、『竹とりの翁』も、父様のお仕事の御本にあるの?」
とせ子がきいた。
「そうなのだよ。いろんなお話をたくさん集めてな、まとめているのだよ」
「ふうん」
とせ子と寅之助が保己一の膝下によって座った。


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posted by 今田欣一 at 15:53| Comment(0) | ★本と旅と[メイン] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする