『日本万国博覧会 公式ガイド』とともに
川越駅西口20時50分発の高速夜行バス「ブルーライナー」に乗り込む。高度経済成長期といわれる1970年に大阪府吹田市で行われた「日本万国博覧会」の会場だった「万博記念公園」を訪れるのが今回の目的である。
高速夜行バスのなかで、長編(172分)の公式記録映画『日本万国博』を観る。開会式から、各国パビリオン、イベントの紹介が網羅されている。海老名SAを出てから、しばらくして消灯。
大阪難波OCATに、朝6時40分ごろに到着。なんばウォークに移動するが、まだ空いているところがない。「カフェクレバー」なんばウォーク店の開店を待って、モーニングサービスのハムエッグセットで朝食。
少し早いかなと思ったが、大阪メトロ御堂筋線・北大阪急行で千里中央駅、大阪モノレールに乗り換えて万博記念公園駅に向かう。万博記念公園駅に着いた頃には、ちょうど開園時間の9時になっていた。ワイヤレスイヤホンで弘田三枝子の「世界の国からこんにちは」を聴きながら、万博記念公園中央口をめざす。
太陽の塔
万博記念公園中央口から入場すると、正面に「太陽の塔」が見えてくる。すでに多くの人が、太陽の塔をバックに記念撮影を行っている。開催当時は大屋根があったので、ここからは全体像として見ることができなかった。
「太陽の塔」は、テーマ館として建てられた。『日本万国博覧会 公式ガイド』(財団法人日本万国博覧会協会、1970年)の「テーマ館」の項には次のように書かれている。
中央口から会場にはいると、正面に大きな両腕を広げた、高さ70mの『太陽の塔』が金属製の大屋根を貫いてそびえています。頂上には金色の面が陽光をうけてキラキラと輝き、未来にむかって語りかけています。正面と背面とこの三つの顔をもつ塔は、過去・現在・未来を貫いて生成する万物のエネルギーの象徴であると同時に、生命の中心、祭りの中心であることを示しています。
塔の頂部には未来を象徴する「黄金の顔」、正面には現在を象徴する「太陽の顔」、背面には過去を象徴する「黒い太陽」というみっつの顔を見ながら、受付に並ぶ。予約して料金も支払い済みなので、バーコードを見せて紙のチケットに引き換えてもらう。
1階部分は、係の方が説明してくれる。まずは「地底の太陽ゾーン」だ。開催当時の地下展示「根源の世界」の雰囲気を体感できるプロローグがあり、行方不明になっていた「地底の太陽」が復元されている。
そして「生命の樹ゾーン」へ進む。「太陽の塔」の胎内には、巨大なオブジェ「生命の樹」がそびえ、生命の進化をたどる33種類のいきものが貼り付いている。写真撮影がOKなのは1階のみだ。
開催当時はエスカレーターが付いていたようだが、現在は階段に変更されている。両腕を結ぶ回廊で係の方の説明を聞く。当時は右腕内のエレベーターで大屋根の内部に進んでいったという。
1970年に訪れた時には「太陽の塔」を外側から見ただけで、塔内にも、大屋根にも入っていなかった。耐震補強で、当時とは違ってはいるが、52年を経て、はじめてパビリオンとしての「太陽の塔」を鑑賞することができたのである。
EXPO’70パビリオン
雨の中、東大路を抜けて「EXPO’70パビリオン」へ向かう。もともとは鉄鋼館(鉄鋼連盟出展)だったところだ。ここにも入った記憶はないので、はじめてきたのだろう。
世界に誇る音響装置、古代ローマのコロシアムを思わせる大ホール。鉄鋼館はもっとも新しい設備をもつ〝音楽の殿堂〟です。
外観は高さ20m、横46mの四角いコンクリートの箱に見えますが、中に入ると、設備の豪華さに驚かされます。円形の大ホールには天井、床、壁に1000個以上のスピーカーがびっしり配置されていて、音が四方八方からわきあがり、かけめぐるように聞こえます。
大ホール「スペースシアター」はホール内には入れないものの、当時の様子を彷彿させる。ここで著名な音楽家によるライヴが行われていたのだ。
「スペースシアター」を囲む一辺40m、四辺160mの回廊がが、派手な色彩を生かした常設展示室になっている。①日本万国博覧会の準備から開幕まで、②開催時の映像や記録写真、当時展示されていた寄贈展示品、新たに作成した模型など、③跡地として整備された万博記念公園の変遷など、総合的に展示されている。
※1970年に開催された当時の会場の模型が展示されていました
※1970年に私が訪れたパビリオンのパンフレット
日本庭園
お祭り広場では何かのイベントが開催されていた。そこを通り抜けて日本庭園正門へ向かう。
日本庭園は開催当時から存在していたのだが、私の眼中にはなかった。はじめて足を踏み入れる。
日本庭園は、展示館地区と対照的な〝緑のいこいの場〟としての効果と、建築と並んで世界に誇る日本の造園技術の展示を目的につくられたものです。設計の底を流れる思想は自然と人間の〝調和のある世界〟の創造です。そして、万国博のテーマ『人類の進歩と調和』を、日本の庭園がたどった上代・中世・近世の造園手法を川の上流部から順にとり入れ、最新の技術で一体的な作品に仕上げることで表現しています。
日本庭園の造園手法の歴史に従い、上代・中世・近世・現代の順で、日本庭園内を巡ることにする。
上代地区(「迎賓館」前庭)
深山の泉は、迎賓館を寝殿造に見立てた庭園だそうだ。その近くには「木漏れ日の滝」がある。
中世地区(茶室「千里庵」前庭)
茶室「千里庵」の前にある枯山水庭園である。残念ながら「千里庵」は休みのようだった。近くにある「松の洲浜」が枯山水庭園の原型のようだ。
ちょうど昼食の時間になったので、日本庭園中央休憩所内にある「和み」でかき揚げ蕎麦をいただく。この中央休憩所から近世の庭園を臨む。
近世地区(「中央休憩所」前庭)
心字池と築山を中心とした江戸時代初期の成熟期の池泉回遊式庭園である。代表的な庭園としては、岡山・後楽園、金沢・兼六園、水戸・偕楽園が挙げられる。
現代地区(季節料理「はす庵」前庭)
切石の石組による日本庭園の新たな挑戦として「旋律の鯉池」が作られている。季節料理「はす庵」は、現在は営業していない。
大阪日本民芸館
日本庭園正門前にある大阪日本民芸館は、日本民芸館(万国博日本民芸館出展協議会)のパビリオンだった。
シンボルゾーンの北側、美術館と日本庭園にはさまれて、この展示館はあります。いわば会場内のクラシック地域です。
万国博の出展には未来の夢を盛り込んだものが多いのですが、この館は庶民の暮らしの中でつちかわれてきた工芸品の実用性に即したうつくしさを見てもらおう、というのがねらいなのです。そのテーマは『暮らしの美』です。
万博終了後、財団法人大阪日本民芸館が設立された。柳宗悦が提唱した民藝運動の拠点として、陶磁器・染織品・木漆工品・編組品などの作品を収集し、展示公開を行っている。
この日は、企画展「2022年春季特別展 今のかたち-西日本の民藝-」が開催されていた。関西から沖縄までの現在の作り手による作品261点が展示されていた。
※足をのばして
大阪城天守閣/通天閣/ハルカス300展望台
せっかく大阪に来たのだから、「万博記念公園」だけではもったいない。
大阪モノレールから大阪メトロ谷町線に乗り換えて天満橋駅へ。「大阪城天守閣」の最寄り駅である。
「大阪城天守閣」では、8階の展望台で大阪城全体と市街を一望したのち、展示を見ながら階段を降りる。歴代の大阪城の模型は撮影禁止だった。残念。
「通天閣」にも一度は行っておきたいと思っていた。天満橋駅から大阪メトロ谷町線・堺筋線で動物園前駅へ。新世界を通り抜けると「通天閣」が見えてくる。
5階の展望台で金色のビリケンさんに遭遇。
締めくくりは現在日本一高いビル、あべのハルカスの展望台「ハルカス300」へ。
すでに暗くなっていたので、60階の天上回廊から、ガラス越しに、大阪の夜景をゆっくりと見ることができた。
大阪難波OCATの「中国酒家朝陽閣」難波店で、中華料理の夕食。22時20分発の高速夜行バス「ブルーライナー」を待つことにする。