2020年08月03日

「くみうた」と「にぎわい」のものがたり3

「にぎわい」クラン

欧字書体に対応する和字書体を制作しようという構想から生まれた。漢字書体との混植を考えながら、育ててきた書体群である。書写の書体から、ヒューマニスト系統に対応する書体、テクストゥーラ系統に対応する書体、そしてレタリングの書体から、サンセリフ・ラウンド系統に対応する書体を制作した。

■ヒューマニスト系統に対応する書体
欧字書体のカテゴリーのうちのヒューマニスト体系統に対応する和字書体を「ほしくずや」として制作したいと考えていた。欧字書体と漢字書体の一般的なカテゴリーのうち和字書体が存在していないものを作ることだった。
自費出版した「いろいろいろは」(1991年)で発表していた和字書体を全面的に見直した、『人と筆跡—明治・大正・昭和—』(サントリー美術館、1987年)の図版などから、正岡子規、高村光太郎、島崎藤村らの筆跡を参考にしてリデザインした。これが「たうち」「さなえ」「いなほ」である。書体の名称はコメ作りに関する和語とした。漢字で書くと、田打、早苗、稲穂である。
幕末の三筆のひとりである巻菱湖の書いたひらがなを版下としたのが海援隊の初歩的英語教科書 『和英通韻以呂波便覧』(巻菱湖書、土佐・海援隊、1868年)である。出版時に巻菱湖はすでに没しているので、すでに書かれていたものを版下として用いたのだと思われる。
巻菱湖は江戸後期の書家で、幕末の三筆のひとりにあげられる。その端正で明快な書風は欧陽詢〔おうようじゅん〕の書法を探求したもので、菱湖流と呼ばれて明治初期まで広く流行した。
『和英通韻伊呂波便覧』の通韻とは、もともとは漢詩で近接する音調をもつ異種の韻字を通用して韻を踏むことだが、ここでは音の似たもの同士をならべるということである。便覧は物事の内容を知るのに便利で調べやすいように編集した小型版の書物で、いわゆるハンドブックのことだ。
初歩的英語教科書『和英通韻伊呂波便覧』は、海援隊が版権を所有し、尚友堂が発行者である。1868年(慶応4年)4月に、海援隊は藩命によって解散させられているので、解散寸前に龍馬の海外発展の夢を継ぐ隊士たちによって出版されたものだと推定される。
海援隊は隊士が航海術や政治学、語学などを学ぶ学校でもあった。とくに長崎で西洋人と貿易したので一般人が通訳を介せず 話ができるように考えたようだ。こういう状況から『和英通韻伊呂波便覧』が出版されたと思われる。
こうして、『和英通韻伊呂波便覧』の巻菱湖の和字をベースにして制作した書体を「まき」と名付けたのであった。

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「たうち」(1997年、2009年、2019年)
「さなえ」(1997年、2009年、2019年)
「いなほ」(1997年、2009年、2019年)
「まき」(2019年)


■テクストゥーラ系統に対応する書体
欧字書体のカテゴリーのうちのテクストゥーラ系統に対応する和字書体を制作したいと考えていた。テクストゥーラ体と北魏楷書体とは時代も書字の道具も異なっているが、なんとなく同じ匂いがしたのである。これらとの組み合わせを想定した和字書体として、「タクト」「カルテ」「ザイル」を制作した。書体名はいずれもドイツ語由来の外来語で、それぞれ拍子、診療簿、登山綱のことである。

制作にあたっては、『豪華普及版 書道芸術 第16巻』(中田勇次郎責任編集、中央公論社、1976年)所収の藤原俊成の書などを参考にした。

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「タクト」(2019年)
「カルテ」(2019年)
「ザイル」(2019年)


■サンセリフ・ラウンド系統に対応する書体
欧字書体のカテゴリーのうち、最近の傾向でもあるラウンド・サンセリフ体に対応する和字書体も加えることにした。
漢字書体の丸ゴシック体との組み合わせを想定して、「アンジェーヌ」「ルリユール」「テアトル」を制作した。書体名はいずれもフランス語由来の外来語で、無邪気、装釘、劇場を意味している。制作にあたっては『図案文字大観』第五版(矢島週一著、彰文館書店、1928年)などを参考にした。
和字書体「ロンド」は、わが国では丸ゴシック体といっているもので、どちらかというと日本では看板などで好まれている書体である。「ロンド」はフランス語で英語のラウンドにあたる。もともとは「欣喜ラウンド」として試作していた書体である。

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「アンジェーヌ」(2009年)
「ルリユール」(2009年)
「テアトル」(2009年)
「ロンド」(2019年)

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