2020年08月05日

和字書体三十六景のものがたり1

和字書体三十六景・第一集(2002年)

タイポグラフィ・ジャーナル『ヴィネット』の創刊準備号が2001年12月に朗文堂という出版社から発行された。そして2002年2月発行の第1号から2004年3月発行の第12号まで継続して刊行されていった。
『ヴィネット』は、基本的にはひとりの著者によるものであった。木村雅彦さんの『ヴィネット01 トラヤヌス帝の碑文がかたる』と、林昆範さんの『ヴィネット02 中国の古典書物』(2002年3月)には、おおいに刺激を受けた。
欧字書体と漢字書体の本に対して、私は和字書体について書きたいと思った。その提案は受け入れられ、『ヴィネット05 挑戦的和字の復刻』(2002年7月)として発刊することができた。このタイトルは編集者によるものである。そのときに試作していた和字書体の9書体の制作の背景をまとめたもので、同時にデジタルタイプ(CD)としても販売することになった。

【あけぼの】
かな書道の教科書・参考書では最初に学習する規範的な写本である御物・粘葉本の『和漢朗詠集』(藤原公任撰、1013年?)を外すわけにはいかない。当初は本文用を想定してメディウム・ウエイトだったが、のちにファミリーとしてオリジナルに近いライト・ウエイトでも制作した。宇野由希子さんの「こうぜい」という書体も同じ原資料からの復刻である。
【さがの】
古活字版の代表格として挙げられるのが嵯峨本である。嵯峨本『伊勢物語』(1608年)を原資料として制作した。嵯峨本とは角倉素庵(1571年–1632年)が嵯峨の地で刊行した書物で、流麗な和様体漢字と和字カーシヴの活字で組まれている。カタカナは大福光寺所蔵本『方丈記』(1244年)を参考にした。
【なにわ】
江戸中期の木版印刷の代表格として選んだのは浄瑠璃本の『曾根崎心中』(近松門左衛門著、1703年)である。近松門左衛門(1653年–1724年)は江戸中期の浄瑠璃・歌舞伎作者だ。浄瑠璃文字といわれる独特の字様で描かれている。
【あおい】
幕末の金属活字黎明期の活字書体で組まれた『歩兵制律』(川本清一訳、1865年、陸軍所)をもとにして制作した。大鳥圭介(1833年–1911年)が縄武館につとめていたとき独自の活字をもちいて出版することに着手していたが、『歩兵制律』は大鳥の活字をもちいて印刷したもので漢字ひらがな交じり表記である。
【かもめ】
『内閣印刷局七十年史』(内閣印刷局、1943年)の本文に用いられた和字書体は印刷局の伝統的な書風である。その源流は1877年(明治10年)に大蔵省紙幣局活版部のとき発行された『活版見本』の五号ひらがな活字と思われる。明治前期の典型的な書風である。
【はなぶさ】
『少年工芸文庫第八編 活版の部』(博文館、1902年)の著者の石井研堂(1865年–1943年)は民衆の立場から明治以来の日本の近代化を探求・記録した博物学者である。発売元の博文館は、明治時代には日本の出版界をリードしていた。大日本印刷の前身の秀英舎で印刷されている。
【くれたけ】
『活版総覧』(森川龍文堂、1933年)に組み見本として掲載された和字ゴシック体の12ポイント活字をもとにして制作した。森川龍文堂は1902年(明治35年)に大阪で創業された金属活字鋳造と印刷機器販売をおこなう会社であった。
【たおやめ】
『日本印刷需要家年鑑』(印刷出版研究所、1936年)のなかに、「組版・印刷・川口印刷所、用紙・三菱製紙上質紙」と明記されたページが16ページある。大正時代から昭和時代にかけて、幅広く使用されている活字書体である。この活字書体を復刻した「たおやめ」は人気のある書体となった。
より汎用性を高めるために、ウェイトを「メディウム・シック・デミボールド・ボールド・エクストラボールド・ウルトラボールド・ブラック」の7ウェイトとしてファミリーを構築した。
【ますらお】
『活字見本帳』(民友社活版製造所、1936年)所載の和字ゴシック体は磨きあげることによって魅力的な書体になった。「ますらお」は「たおやめ」と並ぶ人気書体となった。民友社活版製造所は1901年(明治34年)に東京・銀座で創業された。民友社出版部、印刷部とも業務提携をしていた。
より汎用性を高めるために、ウェイトを「ライト、メディウム、シック、デミボールド、ボールド、エクストラボールド、ウルトラボールド、ブラック、ヘヴィ」の九ウェイトとしてファミリーを構築した。

『ヴィネット05 挑戦的和字の復刻』は、その後に制作した書体も含めて『欣喜堂書体見本帖 和字書体・漢字書体・欧字書体—復刻への挑戦』へと発展させた。
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