2020年08月06日

和字書体三十六景のものがたり2

和字書体三十六景・第2集(2003年)

『タイポグラフィ・ジャーナル ヴィネット』での和字書体シリーズ第2弾として、新たな企画を提案したところ、編集者から、別の観点で—という要請があった。そこで『ヴィネット11 和漢欧書体混植への提案』(2003年12月)として発刊することができた。このタイトルも編集者による。
テーマは漢字書体、欧字書体も含めた「混植」だが、その中心は和字書体であり、九書体の試作書体の制作の背景をまとめた。同時にデジタルタイプ(CD)としても販売することになった。

【やぶさめ】
鎌倉幕府が成立して政治権力は鎌倉に移動したため、残された公家は文化面での専門性をたかめて家業として受け継ぐようになった。藤原定家筆による『更級日記』写本(菅原孝標女著、1230年?、御物・定家筆)をもとに制作した。藤原定家は個性的な書風で「定家様」といわれる。同じ原資料からアドビシステムズの西塚涼子さんが「かづらき」という書体を設計している。
【たかさご】
室町時代には歌謡・舞踊・演劇などの芸能が豊かな展開をみせて、伝統として受け継がれるような成熟に到達した。世阿弥元清は能を総合芸術として大成させ、現代にまで伝わる能楽の基礎を確立した。『風姿花伝』写本(世阿弥元清著、室町前期?、金春本)をもとに制作した。
【ばてれん】
キリシタン版も外せないところだ。キリシタン版の活字は、イエズス会の日本人助修士、ジョルジュ・デ・ロヨラ(1562年?–1589年)が制作したと言われる。キリシタン文学のなかで、もっとも優れたものとされる『ぎや・ど・ぺかどる』(1599年)に用いられた活字書体から復刻した。
【げんろく】
浮世草子の代表として、井原西鶴(1642年–1693年)の『世間胸算用』(井原西鶴、1692年)を原資料として、その字様を原資料にして活字書体化した。元禄時代の町人にとって一年間の総決算日である大晦日の賃借支払いの諸相を描いた小説である。
【えど】
草双紙・合巻を代表するものとして『偐紫田舎源氏』(柳亭種彦著、1829年–1842年)を取り上げた。柳亭種彦(1783年–1842年)のプロデュースのもと、挿画の歌川国貞と筆耕の千形道友または柳枝、彫刻師の共同制作で一冊の本ができるのである。
【はやと】
『二人比丘尼色懺悔』(尾崎紅葉著、吉岡書籍店、1889年)の印刷は国文社である。この書物に使われている漢字書体は活版製造所弘道軒の四号清朝活字らしいが、和字書体は複数の活字書体が混在しているようだ。これも時代を反映したものとして捉えこれを原資料として復刻することにした。
【きざはし】
東京築地活版製造所の初期五号活字はわが国の印刷史において極めて重要な書体と思っていた。『長崎地名考』(香月薫平著、虎與號商店、1893年)は、印刷所は東京築地活版製造所である。この資料を入手できたので嬉々として取り組むことにした。
【さくらぎ】
1903年(明治36年)に小学校令が改正され、小学校の教科書は国定教科書となった。1909年(明治42年)には、日本書籍・東京書籍・大阪書籍の3社が翻刻発行をして国定教科書共同販売所が販売することになった。おおむね木版印刷によるもので、『尋常小学修身書巻三』(東京書籍、1919年)もそのひとつである。
【ことのは】
『辞苑』(新村出編、博文館、1935年)は新村出(1876年–1967年)の編著で博文館から出版され、大ベストセラーとなっていた。『辞苑』には、見出し語に和字アンチック体がもちいられている。新村出は京大教授で、ヨーロッパ言語理論の導入に努め、日本の言語学・国語学の確立に尽力した。

『ヴィネット11 和漢欧書体混植への提案』は、その後に制作した書体も含めて『欣喜堂組み見本帖 和字書体・漢字書体・欧字書体—混植への提案』へと発展させた。
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