2020年09月15日

「KOきざはし金陵M」のものがたり2

漢字書体「金陵」のはなし(前)

「きざはし」は、和字書体三十六景第2集(2003年)のなかの一書体として発売された。これに組み合わせて使用できる漢字書体を制作することにし、中国・明代の代表的な刊本字様(監本・藩刻本・家刻本・仏教刊本)のうちからひとつを選び出すことにした。
明朝体とは中国の明代(1368年–1644年)の木版印刷にあらわれた書体である。1553年(嘉靖32年)に刊刻された『墨子』は、宋朝体から明朝体へと変化する過程にある書体なので、プレ明朝体といえる。
中国・明王朝は、朱元璋(1328年–1398年)が蒙古族の元王朝をたおして、現在の南京に建朝した。朱元璋は明王朝の初代皇帝で、洪武帝(太祖)ともいう。洪武帝の第4子・朱棣(しゅてい)(1360年–1424年)は現在の北京に燕王として封じられていたが、南京を攻略して第3代皇帝、永楽帝(成祖)となった。永楽帝は、のちに南京から北京に遷都した。
明王朝の正徳・嘉靖年間(1506年–1566年)には、印刷物は貴族や官僚だけのものではなくなり、経済が豊かになった庶民の媒体になった。小説や戯曲などの趣味や娯楽のジャンルの刊本が多く出版されている。
なお、清代後期の「近代明朝体」活字に対して、明代の刊本字様を「古明朝体」ということもある。

木版印刷の三大系統とは、官刻(政府出版)・家刻(個人出版)・坊刻(商業出版)である。このほか、仏教版本を別系統にする場合がある。明代には中央・地方の官刻本だけではなく、家刻本、坊刻本などにおいてもさかんに出版事業がおこなわれた。
明朝後期の万暦年間(1573年–1619年)から刊本の数量が急速に増加し、製作の分業化が促進された。このことにより明朝体の成立に拍車をかけた。印刷書体としての観点から、四大明朝体(私案)としてまとめておきたい。つまり明朝体ベスト4である。

[監本(官刻)]
隋以後、貴族の子弟や世間の秀才を教育した国家経営の学校を「国子監」という。監本とは国子監で出版したものに対する呼称である。現存する量の多さから、現在では一般的に監本といえば明の国子監本をさし、南京国子監が出版する本を南監本と呼ぶ。
南京国子監で刊行された書物のうち代表的なものとしては『二十一史』と『十三経』があげられる。明代の1588年(萬暦16年)–1589年(萬暦17年)に南京国子監で刊行された『南斉書』は、中国の二十一史のうちの南斉の正史である。高帝・建元元年(479年)から和帝・中興2年(520年)の南斉の歴史が記されている。

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[藩本(官刻)]
明代においては、中央機関のほかに地方での官刻も盛んに行われた。豊かな経済力と地方政府の権威によって優秀な文人や刊刻職人が招聘されたので、藩王府の刊行した書物は、原稿、校正、彫版、印刷などの品質が高かったようだ。
鄭藩世子朱載堉(しゅさいいく 1536年–?)が刊行した音楽の著作『楽律全書』(1595年)は、藩刻本の代表作のひとつだ。中国音楽における十二音律の研究で、15種48巻の書物である。その時代の音楽理論研究の最先端をいくものだといわれる。

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[家刻本]
明末清初の代表的蔵書家であり出版者として知られているのが毛晋(1599年–1659年)である。毛晋は、家族から継承した豊かな財産を書物の収集と刊本の出版に投入した。汲古閣という専門の建物には八万四千冊の書物が収蔵され、汲古閣に設けた刊刻専用の建物では、刻書、印刷、装丁などの作業が行われ、650種以上の刊本が出版された。それらは「汲古閣本」「毛本」などと呼ばれ、現在に至るまで良質のテキストとして広く流通している。宋代に刊刻された書物の多くが、毛晋の手を経て今に伝わっており、文化の保存と伝播に大きく貢献したといえる。
毛氏汲古閣の出版物において、もっとも世に知られているのは書写の風格のある明朝体であり、『宋名家詞』(1626年–1644年、毛氏汲古閣)がその代表例である。

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[仏教刊本]
大蔵経とは仏教の聖典を総集したものである。経蔵・律蔵・論蔵の三蔵を中心に、それらの注釈書を加えたものとされる。略して蔵経とも、あるいは一切経ともいわれている。
一般に明版大蔵経といわれる『嘉興蔵』(万暦版、楞厳寺版とも)は、方冊型で見易いところから広く用いられた。明末の禅僧・紫柏真可(1543年–1603年)門下の密蔵道開らの発願により、1589年(萬暦17年)に嘉興府楞厳寺(りょうごんじ)で開版されたものである。

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[坊刻本]
官刻本や家刻本には経典、歴史、文学者の詩文が中心であり、大衆の求める小説、実用書、百科事典などの類はあまり多くはなかった。この面の不足を補ったのが坊刻本である。明代の書坊は、南京、建陽、杭州、北京などの地区に集中していた。
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