大正・昭和の和字活字書体を和字ニュー・スタイルということにする。欣喜堂制作の書体では「たおやめ」「ほくと」「たいら」「あずま」が挙げられる。
このうちひとつを選び出すのは甲乙つけがたく難しい。あえて挙げるとすれば「ほくと」だと思った。
市立小樽文学館の特別展「思いがけないルネッサンス―戦後北海道出版事情」(1999年2月6日-4月18日)の図録によって、「札幌版」の存在を知った。
太平洋戦争では北海道に空襲はなかった。東京で壊滅状態だった印刷・出版業は、無傷だった札幌を拠点に置いた。1946年から1950年までの約4年間、札幌市を中心として刊行された文芸書や教養書を「札幌版」というようだ。
札幌版のなかから、『新考北海道史』(奥山亮著、北方書院、1950年)を買い求めた。なによりタイトルが気に入った。書物を手に入れてから、活字書体をじっくり見ることになった。
太平洋戦争後の一時期、北海道内の新興出版社も多数設立され活発な出版活動を開始した。そのなかでも尚古堂書店の経営者である代田茂(1889–1954)による北方書院と、三田徳太郎(1886–1961)が設立した興国印刷は、業界屈指の活動をしている。
興国印刷は、1998(平成10)年に『90年のあゆみ︱興国印刷小史』を刊行したのち、2004年に株式会社アイワードに吸収されている。
『新考北海道史』を読んでみると、本文に用いられている和字書体よりも、「序」と「まえがき」でもちいられた和字書体に目を奪われた。この和字書体ならば、復刻に値すると直感したのである。
こうして和字書体「ほくと」ができた。