2020年10月06日

「KOほくと武英M」のものがたり2

漢字書体「武英」のはなし(前)

「ほくと」は、和字書体三十六景第3集(2005年)のなかの一書体として発売された。さらに、あらかじめ組み合わせて使用できる漢字書体を制作することにした。
清代の康熙帝・雍正帝・乾隆帝の時代の銅活字、木活字の書体を、過渡期明朝体ということにする。代表的なのは、銅活字の『古今図書集成』、木活字の『武英殿聚珍版程式』、民間出版社の『程甲本紅楼夢』である。


『古今図書集成』
『古今図書集成』は中国・清朝の康熙帝が、陳夢雷らに命じて編纂を開始した。康煕帝の時代の1719年(康煕58年)にほぼ完成していたが、皇位継承の紛争もあって刊行が遅れた。刊行されたのは、康煕帝没後の1726(雍正4)年になってからだ。
『古今図書集成』は、広く古来の典籍から、同類の関係する記事を抽出して集めたものである。その構成は、六彙編(暦象・方輿・明倫・博物・理学・経済)に大分類し、次にそれぞれの彙編を32典に分かち、さらにそれぞれの典を6109部に細分した形式となっている。『古今図書集成』から復刻した漢字書体が「武英」である。

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『武英殿聚珍版双書』
乾隆帝(在位:1735—1795)の時代に完成した写本の『四庫全書』のなかから重要な書物を選んで、『武英殿聚珍版双書』として木活字で印刷させました。金簡(?–1794)が提案したもので、宮廷用の5部と一般販売用の300部が刊行されたそうです。金簡は、この木活字の製作と印刷作業の過程と経験をまとめて、詳細な文章と明瞭な挿し絵で『武英殿聚珍版程式』(1776年)という印刷専門書を著しています。この『武英殿聚珍版程式』は出版事業報告書だったとともに、活字版印刷の技術書でもありました。『武英殿聚珍版程式』から復刻した漢字書体が「聚珍」である。

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『程甲本紅楼夢』
清代において一般庶民に向けた実用書、読み物などは、営利を目的とした書坊が担っていました。活字版印刷が各地で盛行したのは、冊数が多いものであっても印刷部数は百部未満のごく少数だったことがあげられます。その中心地は杭州・南京などの江南地方と首都の北京に集中していました。北京では全般的な品質はそれほど高くはありませんでしたが、萃文書屋の『紅楼夢』(1791年)は、坊刻本のなかの佳作といわれています。『程甲本紅楼夢』から復刻した漢字書体が「宝玉」である。

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