「さくらぎ」は、和字書体三十六景第2集(2003年)のなかの1書体として発売された。
「さくらぎ」に組み合わせて使用できる漢字書体の候補は中国・清代の代表的な刊本字様(武英殿本・揚州詩局刊本)および中華民国時代の金属活字のうちからひとつを選び出すことにした。
清代の官刻本のうち「軟字」と称せられる字様を「清朝体」ということにする。したがって明朝以前の楷書は該当しない。
『聖祖御製文集』
清朝体の代表的なものは武英殿本で、略して殿本ともいう。武英殿本はゆったりとした字様で知られている。そのなかには皇帝自身による著作などがあり、刊行時には「御製」「欽定」などの文字が冠せられた。1711年に刊行された康煕帝の著作は『聖祖御製文集』と称せられた。『聖祖御製文集』の字様をデジタルタイプとして復刻しようとするのが「熱河」である。
『欽定全唐詩』
官刻本には、武英殿本のほかに地方官庁の刊行したものがある。地方官庁には曹寅が主管した揚州詩局があった。曹寅は清朝代表する小説『紅楼夢』の作者・曹雪芹の祖父にあたる。
康煕年間には、康煕帝の命により編纂された唐詩全集である『欽定全唐詩』(揚州詩局、1707年)があげられる。その字様は、『聖祖御製文集』のそれをさらに洗練したものであった。武英殿刊本をしのぐ品質とされている。
『欽定全唐文』
嘉慶年間にはいると、嘉慶帝の敕命により董誥らが編纂した『欽定全唐文』(揚州詩局、1818年)が刊行された。唐・五代散文の総集である。この『全唐文』の字様は、運筆が形式化されて活気がないと批評されたが、むしろ均一に統一された表情は、活字書体としての機能をもっている。収められた作家の数は3,000人、作品数は20,000篇にのぼる。皇帝から僧侶、諸外国人に至るまで、あらゆる階層のあらゆる作品を網羅している。『全唐文』の字様をデジタルタイプとして復刻したのが「蛍雪」である。
康煕年間に揚州詩局で刊行された『全唐詩』と、嘉慶年間に同じく揚州詩局で刊行された『全唐文』は、同じような制作システムをとったと考えられる。すなわち書写の担当者を選抜して、同じ書風で書けるように訓練するという手順をふんで刊刻されたものだろう。刊刻された年代が大きく違うということから、その書体はすこし変化しているように感じられる。
『欽定全唐詩』と『欽定全唐文』とはともに脈絡を感じさせない素直で端正な起筆・収筆である。掠法についても両者ともに同じような速度で、側法は柿の種のような形状で統一されている。躍法はどちらもシャープにはねあげているが、どちらかといえば『欽定全唐詩』のほうがやや短めである。
『欽定全唐詩』と『欽定全唐文』とはさほど大きな違いはないように思えるが、前者は少し抑揚のある印象だが、後者は平板で均一な印象がある。大胆な言い方をすれば、前者は毛筆書写にちかく、後者は硬筆書写にちかい。
『欽定全唐詩』よりも『欽定全唐文』の方が抱懐をひろくとっている。前者が縦長の結構になっているのにたいし、後者は正方形にちかくなっている。『欽定全唐詩』の方がすこし伸びやかだ。『欽定全唐詩』から『欽定全唐文』への変化は、より均一化へと向かっていったようである。