2020年10月20日

「KOくらもち銘石B」のものがたり2

漢字書体「銘石」のはなし(前)

和字書体と組み合わせる漢字書体の選択肢が少ないので、あらかじめ組み合わせて使用できる漢字書体を制作することにした。中国・東晋代の代表的な墓誌銘(銘石体)、その名もずばり「銘石」を制作することにした。

「銘石」という漢字書体は、中国・南京市博物館で所蔵されている「王興之墓誌」(341年)ならびに「王興之妻宋和之墓誌」(348年)を参考にして制作した書体だ。日本のゴシック体に似ているが、この墓誌銘は1965年に南京市郊外の象山で出土しているので、まったく無関係であることは明らかだ。ルーツではないのだが、キャッチフレーズとしては「古代呉竹体」と言いたい。
三国時代の魏の武帝・曹操は205年に「立碑の禁」を出した。西晋の武帝・司馬炎も「石獣碑表」をつくることを禁じた。これらは当時の厚葬の習慣を戒めたものだ。「立碑の禁」が出て以来、碑を立てるかわりに小さな「墓碑」を墓の中に埋めるという形式が行われるようになった。
東晋になると地中の「墓碑」はなくなり、碑における事跡の部分だけを、石板や、粘土を固く焼き締めた「磚」に彫りつけて、柩とともに埋める「墓誌銘」という形式が出現するようになった。
この「墓誌銘」のうち、『王興之墓誌』などにもちいられた書体をとくに「銘石体」という。東漢の隷書体から北魏の真書体へ向かう中間書体といわれており、彫刻の味わいが加えられた独特の書風だ。
「銘石体」は「ゴシック体」のルーツではない。が、ルーツだと思わせる形象だ。「銘石体」は優れた古典書体だ。魅力的である。だからこそ活字書体化をはかりたいと思った。
「銘石」は、和字書体の「くれたけ」などのゴシック体と欧字書体とのサン・セリフ体との混植を考慮にいれた。その前提で、文字の大きさや太さをそろえることにした。日本語の漢字書体は、和字書体、欧字書体との組み合わせも考えなければならない。

制作にあたっては『墓誌銘(一)』(蓑毛政雄編著、天来書院、2001年)所載の拓本を参考にした。この本は、臨書用シリーズの中の1冊として出版されている。

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