2021年10月24日午後6時、太平洋フェリー「きたかみ」に乗船。吉田拓郎の「落陽」(作詞・岡本おさみ、作曲・吉田拓郎)を思い出した。
エコノミー・シングルというベッドとテーブルだけの小さな個室に入る。テレビはあるが、地上波は電波が弱く、画面が乱れて途切れがちである。インターネットもここからは繋がらない。
パーソナルコンピューターの普及により、フォントという用語が一般的になった。レタリング(最近では作字というらしい)で必要な文字だけデザインしていたところをフォントとして揃えるようになっているし、書字(手書き)までもフォントとして制作するようになった。むしろそのような創作性の高い書体が求められるようだ。
フォントであるということに間違いはないが、それらとは一線を画すということで、わたしは、あくまで活字書体(タイプフェイス)という言葉を使い続けている。これからも活字書体(タイプフェイス)と言い続けるだろう。
いわゆる本文書体=近代明朝体というのは、明治時代以降の印刷物が、ほとんど近代明朝体で組まれていて、それ以外の選択肢がなかったからである。近代明朝体以外の本文には違和感があるというのは慣れである。慣れということは重要なことだ。これを否定するのではなく、これに固執するのではなく、近代明朝体以外の選択肢があってもいいのではないかと考えている。
「水のように、空気のように」という言葉がある。絶対に必要なものだけど、その存在に気がつかないということが理想である。これは「読んでいてストレスを感じさせない」という意味なので、それは近代明朝体のみに限定されるのではないと思う。
午後7時、出港。初めての太平洋クルーズである。部屋からは港は見えない。夜なので水平線は見えないし、月も星も見えない。iPhoneに入れているアルバムの中から、弘田三枝子の「タッチ・オブ・ブリーズ」(1983)を選び、聴くことにした。
本文書体は大手のメーカーでないと難しい。本文書体の選択の第一条件として、制作字数約20,000字が条件となっている。小さなメーカーでも時間や人数をかければ作れないことはないが、時間と人件費がかかるわけで、相応の経費が必要となる。
さらにはプロポーショナルやカーニングなどのデータ、ウエイト段階の充実なども必要になってくる。これにはタイプフェイス・デザイナーだけでなく、フォント・エンジニアと呼ばれる技術者が必要になってくる。
浸透するまでに期間がかかる本文書体は、大手メーカーでも覚悟がいることである。それでも本文書体を作っているのは、近代明朝体以外の本文書体に取り組む人が少ないからである。私の社会的な役割とも捉えている。
午後10時ごろ、プロムナード(展望通路)に陣取る。夜の海を見ながら、今度は佐野元春のアルバム「Coyote」(2007)を選び出した。
近代明朝体以外の本文書体といっても、まったく新しい書体を創作するということではない。近代明朝体以前に、漢字・和字それぞれに使用されていた活字書体(および木版印刷の字様)を復刻して、現在の文章に適応するように再生させている。
私が制作したのは、日本語(総合)書体8書体(ファミリーを含めると10書体)、和字書体72書体(このほかにファミリー書体がある)である。今後は、これまでに制作してきた書体の完成度、つまり、太さ、大きさ、寄り引きなど、基本的なことを見直すことを考えたい。「読んでいてストレスを感じさせない」すなわち「水のように、空気のように」ということである。
少しの破綻があることを「味わい」だという人があるが、完成度を高めた上で、なお、滲み出てくるのが「味わい」だということを信じている。
★
来年(2022年)には創業25周年を迎える。私が制作できるのは、あと数年に限られるだろう。どのように継承していくのか――現時点での一番の課題である。
午前5時に目覚めた。日の出予定時刻が午前6時少し前ということで、デッキに向かった。
水平線から朝日が上り、海を赤く染めるのを静かに見つめている。
陽はまた昇り、人生の旅は続く。