桜田美津夫著『物語オランダの歴史』とともに
パスポートを更新したものの、新型コロナウイルス感染症の蔓延がおさまらない。国内旅行さえも行けなくなり、盆帰省も諦めた。だから海外など、とうてい無理な状況が続いている。
たとえ少し緩和して旅行できるようになっても、今度は年齢的な問題もあって、ヨーロッパは難しいと思うようになった。
そんな状況で、旅行代理店によるオンラインツアーというのが企画されていることが話題になった。現地スタッフによる海外の観光地の映像を有料動画配信することで、旅行の擬似体験を販売するというものだ。
ユーチューブには多くの方が個人で動画をアップしているので、これらを試聴すれば、オンラインツアーとまではいかないまでも、それなりの旅行体験ができるのではないかと考えた。テレビの画面を通してではあるが、以前から行ってみたかったアムステルダムを訪ねることにした。
現地ガイドの方の案内でアムステルダム市街を散策する「現地ガイドが教えるアムステルダム見どころ紹介」(RIO in オランダ 2020年3月公開)という約30分の動画があった。
ハイネケンビールとゴーダチーズを用意して、アムステルダムの擬似観光を始めよう。
アムステルダム中央駅
街歩きのスタートは、アムステルダム中央駅。パリ北駅からアムステルダム中央駅までは、現在、高速鉄道タリスを使うと3時間10分で行けるそうだ。その動画もユーチューブで見ることができる。
鉄道が敷かれ、アムステルダム中央駅ができる以前にも、当然、ヨーロッパ諸国との交流はあった。16世紀の出版・印刷の中心はパリであった。父型彫刻師としてギャラモン(ガラモンとも)(?–1561)が知られている。
アムステルダム中央駅は1889年に開業した。アイ湾を埋め立てて人工島を作り、その上に駅が建設された。赤煉瓦造りで、二つの重厚な塔が特徴的である。右の塔には大時計、左の塔には風向計が設置されている。設計はオランダ人建築家ピエール・カイパース(1827–1921)による。オランダの国家遺産に登録されている。
ユーチューブに「アムステルダム中央駅-オランダの美が集結」(Koki Ota 2018年11月公開)という25分弱の動画があった。これを観ていくことにしよう。
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アムステルダム市街
アムステルダム中央駅から徒歩10分ぐらいでダム広場に着く。アムステル川をせき止めるダムがあった場所で、ここからアムステルダムの歴史が始まったと言われている。国立モニュメント(第二次世界大戦の慰霊碑)がある。広場の西に接して王宮(旧市庁舎)があり、北東にデ・バイエンコルフ(デパート)、北には新教会がある。
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ダム広場からシンゲル運河までは、徒歩5分ぐらいだ。運河があって、自転車がたくさんあって、小さな家が並んでいるという光景は、「まさにアムステルダム」という感じである。
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家の間口によって税金が決まるらしく、どの家も幅は狭く高さがあり、奥行きのある家になっている。
王宮(旧市庁舎)が建築され、環状運河が造成された17世紀は、オランダの黄金時代といわれる。出版・印刷においても中心地となった。『物語オランダの歴史』(桜田美津夫著、中央公論新社、2017年)には次のように書かれている。
17世紀中の全ヨーロッパの出版物のうち、過半数はオランダで作られたと言われる。これは早くから低地諸州に印刷術の独自の伝統があり、そのノウハウや人材が、スペイン王権の束縛から解かれた北部オランダに集約されたためである。優れた製紙工業、発達した流通システム、広汎な読者層、この時期のヨーロッパ中のどこよりも許容範囲の広い「出版の自由」などが、外国の印刷出版業者や著述家たちを引き寄せたからである。
父型彫刻師では、クリストフェル・ファン・ダイク(1601–1669)が知られている。
アムステルダムの環状運河地区は、ユネスコの世界遺産に登録されている。世界遺産に登録されたのは、内側のシンゲル運河、17世紀に建造されたヘーレン運河・ケイザー運河・プリンセン運河の3運河と、それに沿う街路である。
プリンセン運河まで進んできた。3運河は街の拡大の中で造られた。運河沿いには並木が植えられ、それぞれの家の裏側には広い庭があるそうだ。都市と自然の融合が図られている。
「チーズミュージアム」でちょっと休憩したあと、「アンネフランクの家」の前へ向かう。環状運河地区の最も人気のある観光地となっているのが、アンネフランクとその家族8人が隠れていた家である。
ミュージアムになっているが、隠れていた場所なのですごく狭い。だから入場制限、人数制限が厳しくなっていて、15分刻みで事前にオンラインで予約が必要だということ。この時点で2ヶ月先まで予約が埋まっている。
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内部は撮影禁止だが、「アンネフランクの家の中を覗いてみよう!」(RIO in オランダ 2020年12月公開)という動画で、VRによって再現してくれている。
アンネフランクの家の近くに、ホモモニュメント(同性愛者記念碑)がある。ナチスによって迫害された同性愛者を追悼するモニュメントで、現在・過去・未来を表す三つの巨大な三角形が、さらに大きな三角形の角になるように設置されている。水辺に近い三角形には花輪が置かれている。
環状運河地区を南に進み、オランダ料理のレストラン「HAESJE CLAES」、シンゲルの花市場、チーズショップ「HENRI WILLIG」を紹介してもらいながらレンブラント広場へと到着する。
アムステルダム国立美術館
今度は、バンホーテン・ココアとストロープ・ワッフルを用意して、アムステルダム国立美術館を観ることにしよう。
「アムステルダム国立美術館を歩きます」(ソムリンTV 2019年12月公開)という1時間45分の動画があったので、これに同行することにする。
ライブだったようで、パンフレットを手に迷いながら歩いたり、トイレを探してウロウロしたりするのがリアルである。撮影者のソムリンさんと友人のやりとりが、弥次さん喜多さんのようで絶妙だ。
アムステルダム国立美術館は、オランダ人建築家ピエール・カイパースの設計である。オランダの国家遺産に登録されている。
父型彫刻師クリストフェル・ファン・ダイクは、レンブラント・ファン・レイン(1606–1669)とほぼ同年代である。ヨハネス・フェルメール(1632?–1675?)は25、6歳ほど若い。
『物語オランダの歴史』には次のように書かれている。
オランダの17世紀が黄金時代と呼ばれるのは、その経済的繁栄もさることながら、その土壌の上に花開いた多彩な文化活動によるところが大きい。とりわけオランダ絵画の17世紀は、西洋美術史のなかで、イタリアルネサンス及びフランス印象派の時代と並ぶ創造的絵画芸術の時代であった。
1時間余りで、ようやくヨハネス・フェルメールにたどり着いた。もちろん『牛乳を注ぐ女』(1660)は説明文を読みながらゆっくり鑑賞する。さらに『手紙を読む青衣の女』(1660)を鑑賞。『デルフトの小路』(1660)、『恋文』(1669–1670)なども映し出されていく。
そして、レンブラント・ファン・レインの『夜警』(1642)へ。修復中だったが、その様子を見ることができるのもリアルである。『自画像』(1661)、『イサクとリベカ(ユダヤの花嫁)』(1665–1670)などを観て回る。撮影者は、初期の作品である『読書をする老女(女預言者アンナ)』(1631)に注目して、説明文を読みながら熱心に観ている。
フェルメールとレンブラントの代表作を観るだけなら画集でいいのだが、展示の状況や観客の様子などが、テレビの画面越しであるが感じられたのはよかった。
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再び、アムステルダム中央駅
レンブラント広場から、今度は北に進み、マヘレの跳ね橋などの説明を聞き、「飾り窓」地区の近くを通って、アムステルダム中央駅に戻ってきた。これで、アムステルダム市街の見どころを巡って、一周してきたということになる。
18世紀になると、出版・印刷の中心は、オランダからイギリスへと受け継がれていった。ウィリアム・キャズロン(1692–1766)はアムステルダムの父型彫刻師ディルク・ヴォスケンスの活字をモデルにしたといわれる。
現在、アムステルダム中央駅からロンドン・セント・パングラス駅までは、高速鉄道ユーロスターに乗って3時間40分で行けるそうだ。その動画もユーチューブで見ることができる。
[参考]
クリストフェル・ファン・ダイクの活字書体
『西洋活字の歴史 グーテンベルクからウィリアム・モリスへ』(スタン・ナイト著、高宮利行監修、安形麻理訳、慶應義塾大学出版会、2014年)より