『要訳紅楼夢 中国の源氏物語を読む』とともに
上郡駅から智頭急行・JR西日本共同運行の「スーパーはくと1号」に乗車。ディーゼル・カーながら時速130kmで爆走することで知られている。第3セクターの智頭急行は、京都と倉吉を結ぶ「スーパーはくと」と、岡山と鳥取を結ぶ「スーパーいなば」の運行によって、黒字経営なのだそうだ。
倉吉駅は自動改札ではなく、駅員さんが改札しているのが懐かしく思える。倉吉駅のコインロッカーに荷物を入れて、松崎駅まで乗り継ぐ。松崎駅は無人駅なので、切符を箱に入れて退出するという方式である。
駅前に「東郷温泉」という看板がある。東郷温泉には、小学生の時の家族旅行で一度来たことがある。その時に宿泊した国民宿舎「水明荘」の前を通る。思い出のために写真を撮っておく。
燕趙園(えんちょうえん)
中国庭園「燕趙園」は、山陰八景のひとつ東郷湖(東郷池)の南に立地し、東郷湖を借景として取り込んだ皇家園林方式の中国庭園である。鳥取県と中国河北省の友好のシンボルとして建設された。庭園名は河北省にあった古代の国、燕と趙に因む。
これまで日本国内の中国庭園としては、高島市・中江藤樹記念館の「陽明園」、札幌市・百合が原公園の「瀋芳園」、川崎市・大師公園の「瀋秀園」に行ってきたが、この「燕趙園」は、総面積一万平方メートルに及ぶ日本最大級の本格的な規模なのである。
チケットを購入し、入り口に向かうと係の人がパネルを手に説明してくれる。頂いた園内マップを手に、順路に従って「燕趙園の二十八景」と名付けられた園内を散策することにしよう。
燕趙園の主要な出入口になっている燕趙門が第一景だった。すぐに第二景・影壁、第三景・華夏堂、第四景・西配殿、第五景・東配殿と、ぐるりと囲まれている。音声ガイドで詳しく説明してくれている。そして第六景・長廊を進む。
第七景・四面荷風榭(しめんかふうしゃ)と第八景・荷池(はすいけ)は見どころだと期待していた。「荷」は日本語で「蓮」のこと。蓮の見頃は七月中旬~八月中旬と言われていたので間に合うかと期待していたが、すでに時期は過ぎてしまっていた。残念である。
第九景・東垂花門で「紅楼夢」の世界を覗いてみる。『要訳紅楼夢 中国の源氏物語を読む』(王敏著、講談社、2008年)の「はじめに」から引用する。
『紅楼夢』は中国最後の王朝・清の前期、十八世紀末に世に出た。栄枯盛衰を味わった貴公子(曹雪芹)によって書かれた。「紅楼」とは朱塗の高殿のことである。貴族や富裕階級にふさわしい豪華な邸宅群を想像していただこう。日本の平安朝の「寝殿造り」のそれ以上。下男下女も住まわせての宮殿住まいのようなもの。主人公たちの紅楼の主の日常は王朝風ラブロマンスで満ちている。
見どころだとされていた第十景・三景軒。本来なら、石の腰掛けに座ると、窓から荷風榭(第七景)、華夏堂(第三景)、一覧亭(第十七景)の三つの景色が臨めるというが、工事中でブルーシートに覆われていた。なんとか荷風榭だけはなんとか見ることができた。
1995年に建築されたので、もう造られて25年以上になる。あちこち傷みも目立ってきている。第十一景・知春亭、第十三景・七星橋は立ち入り禁止になっていた。第十四景・魚背橋も簡易的な修理が施されていた。そろそろ本格的な修理が必要なのかもしれない。
第十五景・天湖は、燕趙園の主要な池だ。天湖を前景にして、華夏堂(第三景)、一覧亭(第十七景)を撮影していく。
第十二景・迎水坊、第十六景・臥龍廊(がりゅうろう)から第十七景・一覧亭へ。燕趙園の最も高い位置にあるので、全園の景色が一望でき、さらに東郷湖も見渡せる。第十八景・眺池亭へと進む。
第十九景・天池山を見上げ、第二十一景・別有洞天という洞窟をくぐり抜ける。現世を離れた癒しの桃源郷と説明されている。
洞窟を出たところには、第二十景・飛雲瀑がある。飛んでいる雲霧のように流れ注ぐ滝で、天湖(第十五景)に注いでいる。
そして第二十二景・西垂花門で再び「紅楼夢」の世界を想像してみる。おそらく主人公が暮らす邸宅の庭園は燕趙園など足元にも及ばないほどの豪華さだったのだろう。
主人公の名は賈宝玉。光源氏のような存在で、美少年で、とにかく格好いい。このハンサム少年が成長して、財力と権力を持つ家柄を後ろ盾に豪華を極める暮らしに明け暮れする。紅楼にいっしょに暮らす美しい従姉妹いつも囲まれている。
燕趙園の大部分は皇家園林方式によって設計されているが、ここからは私家園林方式が採り入れられているとのこと。第二十三景・梧竹幽園、第二十五景・陰陽廊、第二十六景・盆景山水をめぐり、第二十七景・松石影壁、第二十八景・百花圃に至る。
最後に第二十四景・聴雨軒を抜ける。聴雨軒の前の天湖には鯉が集まってきていた。これで、「燕趙園の二十八景」を全部見てきたことになる。最後の方はちょっと疲れてきて、急ぎ足になってしまった。
燕趙園を一回りしたところで、そろそろ昼食の時間である。金山嶺(きんざんれい)橋を渡って、中華レストラン「豊味園」へ向かう。
金山嶺(きんざんれい)橋は、趙州安済橋橋をモデルにして作られた石張の歩道橋で、県道二九号を跨ぐ燕趙園最大の建造物である。
「豊味園」では、中華バイキングと紹介されていたが、今は日替わりランチ(A・B・C)のみで、ライス、スープはセルフサービスになっている。Cランチを注文する。
集粋館(しゅうすいかん)
「集粋館」では、通常はイベントホールで中国雑技の公演、展示ホールで中国書画などの展示をしているとのことであった。
だが、いまは夏休みということで子供向けの大きなイベントが開催されており、そもそも入場することができなかった。華麗な装飾の唐代金銀器といった美術工芸の数々が展示されているということだったので残念だ。
ただ中国雑技団のショーは、集粋館前広場に特設テントを張って1日3回の公演が開催されており、13時30分からの公演を見ることができた。多くの観客で賑わっていたが、テントではちょっとさびしい気もする。
『要訳紅楼夢 中国の源氏物語を読む』の「おわりに」から引用する。
紅楼の夢物語は儒教と道教が重要なベクトルになっていることは疑いない。天上界に戻った主人公・賈宝玉の才を惜しみ、地上界の皇帝が「文妙真人」の道号を賜ったことに象徴されるように、仙人へのあこがれが、始皇帝以来しみこんだ中国人の「核」であることを知るのである。
集粋館前広場には、孔子・孟子像、西王母と八仙人、孫子像がある。孔子像には「朋有自遠方来不亦楽乎」・孟子像には「仁者愛人有禮者敬人」という碑文が添えられている。
西王母と八仙人は、民話の登場人物である。八仙人は中国神仙思想を象徴する仙人である。中国では知らない人はいないくらい生活に深く根付いているそうだ。西王母は不老不死の王母桃を管理する天界の最高仙女として、今もなお絶大な人気を集めている。
牡丹園(ぼたんえん)
燕趙園の西側は無料ゾーンで、1200株5000輪の牡丹が植えられた「牡丹園」がある。この時は開花の時期ではないので、もちろん花はなく、誰一人いない。芝生広場ではグランドゴルフなどができるようになっていて、練習をしているグループがいたぐらいだ。
平山郁夫氏らの記念碑が並ぶ「碑のプロムナード」、パンダの石像がある「パンダの楽園」、万里の長城を模した「湖岸遊歩道」を巡って、ぐるりと散策してみた。風が強くなってきた。
おなじく『要訳紅楼夢 中国の源氏物語を読む』の「おわりに」からの引用である。
『紅楼夢』ほど中国人のアイデンティティをみごとに小説化した古典はない。みごとに中国人の世界観が作品を貫いている。成立から二世紀半、古典とは言っても、現代人にも問題なく理解できる中国語によって書かれている。若い世代にも『紅楼夢』ファン(中国語で「紅迷」という)がおり、北京や上海の郊外には『紅楼夢』のテーマパーク「大観園」がある。賈宝玉や、才女・林黛玉、薛宝釵が誘う世界に、今も老若男女問わず惹きつけられている。
牡丹は中国を代表する花で、家庭の幸福や繁栄を祈る縁起のよい花とされている。毎年四月下旬には、燕趙園では「ぼたん祭り」が開催されている。花は咲く時期が限られているので合わせることは難しい。今回は「燕趙園」で、蓮花も牡丹も見ることができなかった。
インターネット上には、咲き誇る牡丹の写真が見られる。「湖岸遊歩道」や、「集粋館」を背景にした写真を見て、満開の牡丹を想像することにした。
龍鳳閣(りゅうほうかく)
少し早めに松崎駅に戻ることにした。1時間に1本しかないので乗り遅れたら大変だ。
今回は時間の関係でパスしたが、燕趙園の東側には多目的温泉保養施設「龍鳳閣」という水着で楽しむ温泉施設がある。
「ゆアシス東郷」というキャッチネームが付けられているように、憩いの場(オアシス)的な温泉だ。特徴的なのは中国の漢白玉石を壁面や浴槽に使った「中国風呂」(水着なし、すなわち裸で入浴する)である。
リーフレットによれば、龍銀湯(男湯)は玄宗皇帝が好んだ風呂をモデルに、壁面に九頭の龍の彫刻が施されている。蓮花湯(女湯)は楊貴妃をイメージし、浴槽側面に蓮の彫刻が施されているようだ。