2020年08月01日

ほしくずや「くみうた」と「にぎわい」のものがたり1

池袋コミュニティカレッジから始まった

池袋コミュニティカレッジで最初に講座をはじめたのは、1997年のことだった。カルチャーセンターということで、受講者はデザインとは関係のない女性や年配の人が多かったようだ。当時はまだワープロが一般的で、パソコンを使えるようになりたいという受講者もいた。
池袋コミュニティカレッジではパソコン専門の講座があったが、Windowsが中心であった。Macintoshだけはなんとか準備していただけるということだったが、必要なアプリケーション・ソフトウェアまではとても無理だった。少しでも活字書体に興味を持っていただけたらということで講座をはじめた。
そこで東池袋の私の事務所に来てもらって、パソコンの操作方法から始めた。私もあまり詳しくはなかったのだが致し方ない。受講者は少人数だった。ちょうどそのころ「漢字エディットキット」というアプリケーション・ソフトウェアが発売されたので、日本語のデジタルタイプを作成できるようになっていた。
受講者は書体制作に関してまったくの未経験だった。とりあえず自由にひらがなとカタカナを制作して、とりあえずその書体を使って組んでみようということを目標にした。
なんとか完成までこぎつけたのは4人だけだった。オリジナルの書体を作ってみるということだけを目標にしていたので、評価をするようなレベルではなかった。それぞれが気に入った童謡などを組んで小冊子をつくった。

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池袋コミュニティカレッジの講座は、2001年に一度中断したのちに、4年後の2005年に受講者が講座を開講できる人数に達したので再開することになった。受講者はそれぞれオリジナルの和字書体(ひらがな・カタカナ)をデジタルタイプで制作した。
2007年になって、やっとそれが完成したので、この講座の発表展示会を開催することになった。池袋コミュニティカレッジの講座の発表展示会「活字書体作品展」は、2007年3月21日(水・祝)から26日(月)まで、池袋コミュニティカレッジ内のMAUVE GALLERYで開催された。
受講者6名が制作したオリジナル書体を用いて、各自が組版し、プリントし、手作り製本した書物を展示した。活字書体は、実際に使うことによって命を吹き込まれるような気がする。パネルで見るよりもむしろ、書物として読んでもらいたいと考えたのだった。
書体見本と制作意図をまとめたパネルと、制作過程を記録したファイルや参考にした資料なども展示した。受講者が制作した書体はまだまだ未熟なものだったが、制作する過程が大切だと考えていた。
そのとき、受講者だけでは展示がさびしい気がしたので、私も「ゆきぐみ」という書体を制作した。

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2020年08月02日

ほしくずや「くみうた」と「にぎわい」のものがたり2

「くみうた」クラン

「ゆきぐみ」は明治時代の木版教科書、『中等國文 二の巻上』(1896年、東京・吉川半七藏版)を参考にして制作した書体である。「ゆきぐみ」のほかにも「つきぐみ」「はなぐみ」を制作することにした。これらを「くみうた」クランと呼ぶことにする。
『中等國文 二の巻上』にはじめて出会ったのは、サンシャインシティ大古本まつりだった。そのとき明治時代の教科書は、使い古した段ボール箱に無造作に入れられ、1冊200円で売られていた。何かの資料になればというぐらいの気持ちで、数冊買った記憶がある。そのうちの1冊にちがいない。
しばらくはそのまま置いていた。ある日のこと、なにげなく手に取ってぱらぱらと眺めていて、面白いことに気がついた。本文は楷書体だが、手紙文は行書体なのだ。欧字書体のローマン体とセットになったイタリック体を思い出した。楷書体と行書体をセットにした書体を作れないものかと考えはじめた。
当初は、和字書体・漢字書体・欧字書体をセットにした日本語書体として企画していたのだが、とくに漢字書体まで制作しようとすると膨大な時間と費用がかかる。漢字書体と欧字書体は、すでに優れた書体が多く販売されていることから、まずは和字書体を優先して制作することにした。
よく見ると、彫刻の味わいが残るいい書体だ。毛筆で書かれた文字が、彫刻刀でなぞられることによって力強さが加味されたようだ。まさに、じんわりと好きになってきた。楷書体と行書体、それぞれに組み合わされることを想定した和字書体を制作することにした。
楷書体、行書体に、隷書体も加えようと思ったが、教科書に隷書体を使ったものはみつからなかった。ならば地図はどうだ。少し無理はあったが、昭和初期の地図『東京』(1934年、大日本帝国陸地測量部)の等線の手書き文字を参考にして、隷書体と組み合わせることを想定した和字書体を加えた。
漢字書体の楷書体・行書体・隷書体をむすぶ書体の一族が誕生したのである。楷書体と組み合わせる和字書体を「ゆきぐみ」、隷書体と組み合わせる和字書体を「つきぐみ」、行書体と組み合わせる和字書体を「はなぐみ」とした。
当初は、和字書体・漢字書体・欧字書体をセットにした日本語書体として企画していたのだが、とくに漢字書体まで制作しようとすると膨大な時間と費用がかかる。漢字書体と欧字書体は、すでに優れた書体が多く販売されていることから、まずは和字書体を優先して制作することにした。

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「ゆきぐみ」(2009年、2012年)
「つきぐみ」(2009年、2012年)
「はなぐみ」(2009年)


「くみうた」クランでは全体的な構想を優先したいが、資金も時間も労働力もない。そこで他社の書体との混植を想定して制作することにした。どこか特定のメーカーということではない。主要なメーカーを、「くみうた」クランでつないでいくというのもいいのではないかと思った。
明朝体、ゴシック体のファミリーまでなら多くのメーカーで制作されているが、楷書体、行書体、隷書体を揃えているメーカーは少ない。しかも明朝体、ゴシック体ほどには、楷書体、行書体、隷書体に力を入れていないように思える。使用状況を考えるとやむを得ないことだろう。
これにくわえて、もうひとつの大きな構想がふくらんできた。それは「ゆきぐみ」を明朝体に、「つきぐみ」をゴシック体に組み合わせる和字書体を同じコンセプトで制作するということだった。大きさを工夫して、それぞれを「ゆきぐみラージ」、「つきぐみラージ」とした。
漢字書体の楷書体・行書体・隷書体にくわえて、明朝体・ゴシック体をふくみ、それぞれがファミリーを形成するという今までにない壮大な構想ができあがった。

2020年08月03日

ほしくずや「くみうた」と「にぎわい」のものがたり3

「にぎわい」クラン

欧字書体に対応する和字書体を制作しようという構想から生まれた。漢字書体との混植を考えながら、育ててきた書体群である。書写の書体から、ヒューマニスト系統に対応する書体、テクストゥーラ系統に対応する書体、そしてレタリングの書体から、サンセリフ・ラウンド系統に対応する書体を制作した。

■ヒューマニスト系統に対応する書体
欧字書体のカテゴリーのうちのヒューマニスト体系統に対応する和字書体を「ほしくずや」として制作したいと考えていた。欧字書体と漢字書体の一般的なカテゴリーのうち和字書体が存在していないものを作ることだった。
自費出版した「いろいろいろは」(1991年)で発表していた和字書体を全面的に見直した、『人と筆跡—明治・大正・昭和—』(サントリー美術館、1987年)の図版などから、正岡子規、高村光太郎、島崎藤村らの筆跡を参考にしてリデザインした。これが「たうち」「さなえ」「いなほ」である。書体の名称はコメ作りに関する和語とした。漢字で書くと、田打、早苗、稲穂である。
幕末の三筆のひとりである巻菱湖の書いたひらがなを版下としたのが海援隊の初歩的英語教科書 『和英通韻以呂波便覧』(巻菱湖書、土佐・海援隊、1868年)である。出版時に巻菱湖はすでに没しているので、すでに書かれていたものを版下として用いたのだと思われる。
巻菱湖は江戸後期の書家で、幕末の三筆のひとりにあげられる。その端正で明快な書風は欧陽詢〔おうようじゅん〕の書法を探求したもので、菱湖流と呼ばれて明治初期まで広く流行した。
『和英通韻伊呂波便覧』の通韻とは、もともとは漢詩で近接する音調をもつ異種の韻字を通用して韻を踏むことだが、ここでは音の似たもの同士をならべるということである。便覧は物事の内容を知るのに便利で調べやすいように編集した小型版の書物で、いわゆるハンドブックのことだ。
初歩的英語教科書『和英通韻伊呂波便覧』は、海援隊が版権を所有し、尚友堂が発行者である。1868年(慶応4年)4月に、海援隊は藩命によって解散させられているので、解散寸前に龍馬の海外発展の夢を継ぐ隊士たちによって出版されたものだと推定される。
海援隊は隊士が航海術や政治学、語学などを学ぶ学校でもあった。とくに長崎で西洋人と貿易したので一般人が通訳を介せず 話ができるように考えたようだ。こういう状況から『和英通韻伊呂波便覧』が出版されたと思われる。
こうして、『和英通韻伊呂波便覧』の巻菱湖の和字をベースにして制作した書体を「まき」と名付けたのであった。

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「たうち」(1997年、2009年、2019年)
「さなえ」(1997年、2009年、2019年)
「いなほ」(1997年、2009年、2019年)
「まき」(2019年)


■テクストゥーラ系統に対応する書体
欧字書体のカテゴリーのうちのテクストゥーラ系統に対応する和字書体を制作したいと考えていた。テクストゥーラ体と北魏楷書体とは時代も書字の道具も異なっているが、なんとなく同じ匂いがしたのである。これらとの組み合わせを想定した和字書体として、「タクト」「カルテ」「ザイル」を制作した。書体名はいずれもドイツ語由来の外来語で、それぞれ拍子、診療簿、登山綱のことである。

制作にあたっては、『豪華普及版 書道芸術 第16巻』(中田勇次郎責任編集、中央公論社、1976年)所収の藤原俊成の書などを参考にした。

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「タクト」(2019年)
「カルテ」(2019年)
「ザイル」(2019年)


■サンセリフ・ラウンド系統に対応する書体
欧字書体のカテゴリーのうち、最近の傾向でもあるラウンド・サンセリフ体に対応する和字書体も加えることにした。
漢字書体の丸ゴシック体との組み合わせを想定して、「アンジェーヌ」「ルリユール」「テアトル」を制作した。書体名はいずれもフランス語由来の外来語で、無邪気、装釘、劇場を意味している。制作にあたっては『図案文字大観』第五版(矢島週一著、彰文館書店、1928年)などを参考にした。
和字書体「ロンド」は、わが国では丸ゴシック体といっているもので、どちらかというと日本では看板などで好まれている書体である。「ロンド」はフランス語で英語のラウンドにあたる。もともとは「欣喜ラウンド」として試作していた書体である。

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「アンジェーヌ」(2009年)
「ルリユール」(2009年)
「テアトル」(2009年)
「ロンド」(2019年)

2020年08月05日

和字書体三十六景のものがたり1

和字書体三十六景・第一集(2002年)

タイポグラフィ・ジャーナル『ヴィネット』の創刊準備号が2001年12月に朗文堂という出版社から発行された。そして2002年2月発行の第1号から2004年3月発行の第12号まで継続して刊行されていった。
『ヴィネット』は、基本的にはひとりの著者によるものであった。木村雅彦さんの『ヴィネット01 トラヤヌス帝の碑文がかたる』と、林昆範さんの『ヴィネット02 中国の古典書物』(2002年3月)には、おおいに刺激を受けた。
欧字書体と漢字書体の本に対して、私は和字書体について書きたいと思った。その提案は受け入れられ、『ヴィネット05 挑戦的和字の復刻』(2002年7月)として発刊することができた。このタイトルは編集者によるものである。そのときに試作していた和字書体の9書体の制作の背景をまとめたもので、同時にデジタルタイプ(CD)としても販売することになった。

【あけぼの】
かな書道の教科書・参考書では最初に学習する規範的な写本である御物・粘葉本の『和漢朗詠集』(藤原公任撰、1013年?)を外すわけにはいかない。当初は本文用を想定してメディウム・ウエイトだったが、のちにファミリーとしてオリジナルに近いライト・ウエイトでも制作した。宇野由希子さんの「こうぜい」という書体も同じ原資料からの復刻である。
【さがの】
古活字版の代表格として挙げられるのが嵯峨本である。嵯峨本『伊勢物語』(1608年)を原資料として制作した。嵯峨本とは角倉素庵(1571年–1632年)が嵯峨の地で刊行した書物で、流麗な和様体漢字と和字カーシヴの活字で組まれている。カタカナは大福光寺所蔵本『方丈記』(1244年)を参考にした。
【なにわ】
江戸中期の木版印刷の代表格として選んだのは浄瑠璃本の『曾根崎心中』(近松門左衛門著、1703年)である。近松門左衛門(1653年–1724年)は江戸中期の浄瑠璃・歌舞伎作者だ。浄瑠璃文字といわれる独特の字様で描かれている。
【あおい】
幕末の金属活字黎明期の活字書体で組まれた『歩兵制律』(川本清一訳、1865年、陸軍所)をもとにして制作した。大鳥圭介(1833年–1911年)が縄武館につとめていたとき独自の活字をもちいて出版することに着手していたが、『歩兵制律』は大鳥の活字をもちいて印刷したもので漢字ひらがな交じり表記である。
【かもめ】
『内閣印刷局七十年史』(内閣印刷局、1943年)の本文に用いられた和字書体は印刷局の伝統的な書風である。その源流は1877年(明治10年)に大蔵省紙幣局活版部のとき発行された『活版見本』の五号ひらがな活字と思われる。明治前期の典型的な書風である。
【はなぶさ】
『少年工芸文庫第八編 活版の部』(博文館、1902年)の著者の石井研堂(1865年–1943年)は民衆の立場から明治以来の日本の近代化を探求・記録した博物学者である。発売元の博文館は、明治時代には日本の出版界をリードしていた。大日本印刷の前身の秀英舎で印刷されている。
【くれたけ】
『活版総覧』(森川龍文堂、1933年)に組み見本として掲載された和字ゴシック体の12ポイント活字をもとにして制作した。森川龍文堂は1902年(明治35年)に大阪で創業された金属活字鋳造と印刷機器販売をおこなう会社であった。
【たおやめ】
『日本印刷需要家年鑑』(印刷出版研究所、1936年)のなかに、「組版・印刷・川口印刷所、用紙・三菱製紙上質紙」と明記されたページが16ページある。大正時代から昭和時代にかけて、幅広く使用されている活字書体である。この活字書体を復刻した「たおやめ」は人気のある書体となった。
より汎用性を高めるために、ウェイトを「メディウム・シック・デミボールド・ボールド・エクストラボールド・ウルトラボールド・ブラック」の7ウェイトとしてファミリーを構築した。
【ますらお】
『活字見本帳』(民友社活版製造所、1936年)所載の和字ゴシック体は磨きあげることによって魅力的な書体になった。「ますらお」は「たおやめ」と並ぶ人気書体となった。民友社活版製造所は1901年(明治34年)に東京・銀座で創業された。民友社出版部、印刷部とも業務提携をしていた。
より汎用性を高めるために、ウェイトを「ライト、メディウム、シック、デミボールド、ボールド、エクストラボールド、ウルトラボールド、ブラック、ヘヴィ」の九ウェイトとしてファミリーを構築した。

『ヴィネット05 挑戦的和字の復刻』は、その後に制作した書体も含めて『欣喜堂書体見本帖 和字書体・漢字書体・欧字書体—復刻への挑戦』へと発展させた。

2020年08月06日

和字書体三十六景のものがたり2

和字書体三十六景・第2集(2003年)

『タイポグラフィ・ジャーナル ヴィネット』での和字書体シリーズ第2弾として、新たな企画を提案したところ、編集者から、別の観点で—という要請があった。そこで『ヴィネット11 和漢欧書体混植への提案』(2003年12月)として発刊することができた。このタイトルも編集者による。
テーマは漢字書体、欧字書体も含めた「混植」だが、その中心は和字書体であり、九書体の試作書体の制作の背景をまとめた。同時にデジタルタイプ(CD)としても販売することになった。

【やぶさめ】
鎌倉幕府が成立して政治権力は鎌倉に移動したため、残された公家は文化面での専門性をたかめて家業として受け継ぐようになった。藤原定家筆による『更級日記』写本(菅原孝標女著、1230年?、御物・定家筆)をもとに制作した。藤原定家は個性的な書風で「定家様」といわれる。同じ原資料からアドビシステムズの西塚涼子さんが「かづらき」という書体を設計している。
【たかさご】
室町時代には歌謡・舞踊・演劇などの芸能が豊かな展開をみせて、伝統として受け継がれるような成熟に到達した。世阿弥元清は能を総合芸術として大成させ、現代にまで伝わる能楽の基礎を確立した。『風姿花伝』写本(世阿弥元清著、室町前期?、金春本)をもとに制作した。
【ばてれん】
キリシタン版も外せないところだ。キリシタン版の活字は、イエズス会の日本人助修士、ジョルジュ・デ・ロヨラ(1562年?–1589年)が制作したと言われる。キリシタン文学のなかで、もっとも優れたものとされる『ぎや・ど・ぺかどる』(1599年)に用いられた活字書体から復刻した。
【げんろく】
浮世草子の代表として、井原西鶴(1642年–1693年)の『世間胸算用』(井原西鶴、1692年)を原資料として、その字様を原資料にして活字書体化した。元禄時代の町人にとって一年間の総決算日である大晦日の賃借支払いの諸相を描いた小説である。
【えど】
草双紙・合巻を代表するものとして『偐紫田舎源氏』(柳亭種彦著、1829年–1842年)を取り上げた。柳亭種彦(1783年–1842年)のプロデュースのもと、挿画の歌川国貞と筆耕の千形道友または柳枝、彫刻師の共同制作で一冊の本ができるのである。
【はやと】
『二人比丘尼色懺悔』(尾崎紅葉著、吉岡書籍店、1889年)の印刷は国文社である。この書物に使われている漢字書体は活版製造所弘道軒の四号清朝活字らしいが、和字書体は複数の活字書体が混在しているようだ。これも時代を反映したものとして捉えこれを原資料として復刻することにした。
【きざはし】
東京築地活版製造所の初期五号活字はわが国の印刷史において極めて重要な書体と思っていた。『長崎地名考』(香月薫平著、虎與號商店、1893年)は、印刷所は東京築地活版製造所である。この資料を入手できたので嬉々として取り組むことにした。
【さくらぎ】
1903年(明治36年)に小学校令が改正され、小学校の教科書は国定教科書となった。1909年(明治42年)には、日本書籍・東京書籍・大阪書籍の3社が翻刻発行をして国定教科書共同販売所が販売することになった。おおむね木版印刷によるもので、『尋常小学修身書巻三』(東京書籍、1919年)もそのひとつである。
【ことのは】
『辞苑』(新村出編、博文館、1935年)は新村出(1876年–1967年)の編著で博文館から出版され、大ベストセラーとなっていた。『辞苑』には、見出し語に和字アンチック体がもちいられている。新村出は京大教授で、ヨーロッパ言語理論の導入に努め、日本の言語学・国語学の確立に尽力した。

『ヴィネット11 和漢欧書体混植への提案』は、その後に制作した書体も含めて『欣喜堂組み見本帖 和字書体・漢字書体・欧字書体—混植への提案』へと発展させた。