2020年08月23日

「KOさきがけ龍爪M」のものがたり4

欧字書体「K.E.Aries-Medium」のはなし

日本語フォントとして、欧字書体も必要となってくる。どうしても制作しなければならないのならば、和字・漢字書体に従属するという考えを超えて、和字・漢字・欧字書体を調和させることを念頭に置いた。
和字書体「さきがけ」、漢字書体「龍爪」に対応する欧字書体として制作したのが「K.E.Aries」である。和字書体、漢字書体が復刻した書体であるように、欧字書体も同じ制作方法であるべきだと考えたのだ。

15世紀、印刷の需要が高まっていたヴェネツィアに最初の印刷所を設立したのは、ドイツ人の兄弟ジョン・スピラ(?–1470年)とウェンデリン・スピラ(?–1478年)だった。スピラ兄弟は、手書き文字の模倣に過ぎなかったプレ・ローマン体から脱皮し、様式化されたヴェネツィアン・ローマン体となった。
そのヴェネチアン・ローマン体を完成させたのは、フランス人の印刷者ニコラ・ジェンソン(1420年?-1481年)であった。よりも洗練されて読みやすい活字書体となり、こんにちのローマン体の元祖とされるヴェネチアン・ローマン体が完成したのだ。
ジェンソン活字を使用して印刷されたのがプリニウス著『博物誌』(1472年)である。紀元一世紀の著述家プリニウスの現存する唯一の著作で、古典ローマ世界のあらゆる知識を網羅した百科全書をして知られている。活字版印刷においても、重要な印刷物のひとつとされている。
制作の参考にしたのは、この『博物誌』の1ページである。制作にあたって、ここにあるだけのキャラクターを抜き出して、アウトラインをなぞってみた。

ジェンソン活字は近代になって復刻され、アルバート・ブルース・ロジャースの「セントール」などが制作された。近年でもロバート・スリムバックの「アドビジェンソン」が制作されている。これらも逐次参考にした。

2020年08月24日

「KOさきがけ龍爪M」のものがたり5

日本語書体「さきがけ龍爪」の誕生

「さきがけ」は、2005年に「和字書体三十六景第三集」のなかの1書体として発売されていた。これに、漢字書体「龍爪」、欧字書体「K.E.Aries」を加えたのが「さきがけ龍爪M」である。漢字書体「龍爪」、欧字書体「K.E.Aries」は独立した活字書体としては発売されていない。
TrueTypeの「KRさきがけ龍爪M」は、「KRもとい龍爪M」、「KRかもめ龍爪M」とともに、2008年7月から「robundo type cosmique」にCD版での販売を委託した。その1年後には、「designpocket」などからダウンロード方式での販売も開始された。
もともと近代明朝体と組み合わされていた「かもめ」だが、その力強さは「龍爪」となじむのではないかと思ったのである。
このほか、「和字書体三十六景・第二集」(2003年)の「KOはやと」や、「和字書体十二勝」(2019年発売)に含まれている「KOうえまつ」、「KOにしき」に、漢字書体「龍爪」、欧字書体「K.E.Aries」を組み合わせることも考えられる。

KOもとい龍爪M
KOうえまつ龍爪M(★)
KOさきがけ龍爪M
KOにしき龍爪M(★)
KOかもめ龍爪M
KOはやと龍爪M(★)
★は未発売

2020年09月14日

「KOきざはし金陵M」のものがたり1

和字書体「きざはし」のはなし

東京築地活版製造所の見本帳『活版見本』(1903年)の口絵として、銅版印刷による工場全景の図版が掲載されている。この場所が現在どうなっているのか、同じところから写真を撮ってみようと思い立った。
かつての築地川は首都高速道路になっている。つまり、道路の川底を自動車が走っているということなのだ。築地川にかかる万年橋は首都高速道路の上にあり、その周囲は「中央区立築地川銀座公園」として整備されている。
図版の写真が撮られたと思われる場所は、高いフェンスで覆われていて近づくことさえできない。それでもフェンスまでたどり着く場所をみつけて、カメラをフェンスの隙間に差し込んだ。図版の位置より少し左の位置からになってしまったが、どうにか撮影することができた。
東京築地活版製造所は現在コンワビルが建っているところにあった。その跡を示す「活字発祥の碑」がその敷地内に建てられている。

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1999年に府川充男氏による3回連続セミナーが開催され、私はそのすべての回に参加することができた。そのときの配布資料のなかに『長崎地名考』の図版があった。これだと思い、市立図書館で調べてもらったら、日本大学文理大学図書館で所蔵しているということがわかった。市立図書館を通じて借用し20ページほど複写することができた。これが「きざはし」の原資料となった。
『長崎地名考』(香月薫平著、虎與號商店、1893年)は、上巻・下巻・附録の3冊からなっている。上巻は「山川之部」、下巻は「旧蹟之部」、附録は「物産之部」となっている。印刷所は東京築地活版製造所。いわゆる築地活版前期五号活字書体として、漢字書体の近代明朝体と組み合わされている。
明治時代の金属活字の和字書体に共通するのは、江戸時代の木版印刷字様(和字ドーンスタイル)がもっていた彫刻風の粗々しさが少なくなり、丸みを帯びた動きのある書風にと変化しているということだ。これを和字オールド・スタイルとする。
和字オールド・スタイルのうち、東京築地活版製造所の活字から「きざはし」、国光社独自の活字書体から「さおとめ」を制作した。また、官業活版の源流を受け継いだ内閣印刷局(現在の国立印刷局)の活字から復刻した「かもめ」もこの範疇ということにした。これらを「和字オールド・スタイル」(前期)とした。「あおい」は「和字ドーン・スタイル」としたが、もともと明朝体風の漢字書体と組み合わされていた書体である。悩ましいところだ。
出自は明らかではないが活版製造所弘道軒の書体と混植されたとみられる活字から「はやと」、東京築地活版製造所と並び称せられる秀英舎鋳造部製文堂の活字から「はなぶさ」、青山進行堂活版製造所の見本帳から「まどか」を制作した。これらの和字書体もまた丸みを帯びた動きのある「和字オールド・スタイル」(後期)ということにする。
明治時代に制作された書体の中で、「和字オールド・スタイル」(前期)のうち築地活版製造所五号活字の「きざはし」を選んだ。この書体がいちばんその時代の書風があらわれていると感じたからである。
「きざはし」は最初から字面を小さく設計してある。このカテゴリーに属する和字書体は、近代明朝体と組み合わせると少し小さめになる。

2020年09月15日

「KOきざはし金陵M」のものがたり2

漢字書体「金陵」のはなし(前)

「きざはし」は、和字書体三十六景第2集(2003年)のなかの一書体として発売された。これに組み合わせて使用できる漢字書体を制作することにし、中国・明代の代表的な刊本字様(監本・藩刻本・家刻本・仏教刊本)のうちからひとつを選び出すことにした。
明朝体とは中国の明代(1368年–1644年)の木版印刷にあらわれた書体である。1553年(嘉靖32年)に刊刻された『墨子』は、宋朝体から明朝体へと変化する過程にある書体なので、プレ明朝体といえる。
中国・明王朝は、朱元璋(1328年–1398年)が蒙古族の元王朝をたおして、現在の南京に建朝した。朱元璋は明王朝の初代皇帝で、洪武帝(太祖)ともいう。洪武帝の第4子・朱棣(しゅてい)(1360年–1424年)は現在の北京に燕王として封じられていたが、南京を攻略して第3代皇帝、永楽帝(成祖)となった。永楽帝は、のちに南京から北京に遷都した。
明王朝の正徳・嘉靖年間(1506年–1566年)には、印刷物は貴族や官僚だけのものではなくなり、経済が豊かになった庶民の媒体になった。小説や戯曲などの趣味や娯楽のジャンルの刊本が多く出版されている。
なお、清代後期の「近代明朝体」活字に対して、明代の刊本字様を「古明朝体」ということもある。

木版印刷の三大系統とは、官刻(政府出版)・家刻(個人出版)・坊刻(商業出版)である。このほか、仏教版本を別系統にする場合がある。明代には中央・地方の官刻本だけではなく、家刻本、坊刻本などにおいてもさかんに出版事業がおこなわれた。
明朝後期の万暦年間(1573年–1619年)から刊本の数量が急速に増加し、製作の分業化が促進された。このことにより明朝体の成立に拍車をかけた。印刷書体としての観点から、四大明朝体(私案)としてまとめておきたい。つまり明朝体ベスト4である。

[監本(官刻)]
隋以後、貴族の子弟や世間の秀才を教育した国家経営の学校を「国子監」という。監本とは国子監で出版したものに対する呼称である。現存する量の多さから、現在では一般的に監本といえば明の国子監本をさし、南京国子監が出版する本を南監本と呼ぶ。
南京国子監で刊行された書物のうち代表的なものとしては『二十一史』と『十三経』があげられる。明代の1588年(萬暦16年)–1589年(萬暦17年)に南京国子監で刊行された『南斉書』は、中国の二十一史のうちの南斉の正史である。高帝・建元元年(479年)から和帝・中興2年(520年)の南斉の歴史が記されている。

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[藩本(官刻)]
明代においては、中央機関のほかに地方での官刻も盛んに行われた。豊かな経済力と地方政府の権威によって優秀な文人や刊刻職人が招聘されたので、藩王府の刊行した書物は、原稿、校正、彫版、印刷などの品質が高かったようだ。
鄭藩世子朱載堉(しゅさいいく 1536年–?)が刊行した音楽の著作『楽律全書』(1595年)は、藩刻本の代表作のひとつだ。中国音楽における十二音律の研究で、15種48巻の書物である。その時代の音楽理論研究の最先端をいくものだといわれる。

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[家刻本]
明末清初の代表的蔵書家であり出版者として知られているのが毛晋(1599年–1659年)である。毛晋は、家族から継承した豊かな財産を書物の収集と刊本の出版に投入した。汲古閣という専門の建物には八万四千冊の書物が収蔵され、汲古閣に設けた刊刻専用の建物では、刻書、印刷、装丁などの作業が行われ、650種以上の刊本が出版された。それらは「汲古閣本」「毛本」などと呼ばれ、現在に至るまで良質のテキストとして広く流通している。宋代に刊刻された書物の多くが、毛晋の手を経て今に伝わっており、文化の保存と伝播に大きく貢献したといえる。
毛氏汲古閣の出版物において、もっとも世に知られているのは書写の風格のある明朝体であり、『宋名家詞』(1626年–1644年、毛氏汲古閣)がその代表例である。

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[仏教刊本]
大蔵経とは仏教の聖典を総集したものである。経蔵・律蔵・論蔵の三蔵を中心に、それらの注釈書を加えたものとされる。略して蔵経とも、あるいは一切経ともいわれている。
一般に明版大蔵経といわれる『嘉興蔵』(万暦版、楞厳寺版とも)は、方冊型で見易いところから広く用いられた。明末の禅僧・紫柏真可(1543年–1603年)門下の密蔵道開らの発願により、1589年(萬暦17年)に嘉興府楞厳寺(りょうごんじ)で開版されたものである。

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[坊刻本]
官刻本や家刻本には経典、歴史、文学者の詩文が中心であり、大衆の求める小説、実用書、百科事典などの類はあまり多くはなかった。この面の不足を補ったのが坊刻本である。明代の書坊は、南京、建陽、杭州、北京などの地区に集中していた。

2020年09月16日

「KOきざはし金陵M」のものがたり3

漢字書体「金陵」のはなし(後)

欣喜堂で試作した明朝体は「金陵」、「嘉興」、「鳳翔」、「毛晋」の四書体である。この中から、まずは「金陵」か「嘉興」かのどちらかを制作することにした。
漢字書体「金陵」のベースにしたのは、南京国子監本『南斉書』である。わが国には、これとは別の『南斉書』がある。日本で覆刻されたので、これを和刻本『南斉書』と言っている。1703年(元禄16年)–1705年(宝永2年)に、川越藩柳澤家が荻生徂徠に命じて、南京国子監本『南斉書』を、返り点をつけたうえで覆刻したものだそうだ。汲古書院から出ている「和刻本正史シリーズ」は、これらの影印である。『和刻本正史 南齊書』(長澤規矩也 編、汲古書院、1984年)もこのシリーズに含まれている。
中国の原本と比べると日本の覆刻はかなり見劣りがする。もともと欣喜堂の「漢字書体二十四史」は中国の刊本のなかから選定したものである。「金陵」は南京国子監本『南斉書』をベースにしており、和刻本『南斉書』は参考にしていない。
漢字書体「嘉興」のベースにしたのは、楞厳寺版『嘉興蔵』である。楞厳寺版『嘉興蔵』を、1678年(延宝6年)に覆刻したのが、鉄眼版『一切経』である。鉄眼は、日本に流布している大蔵経がないので、隠元を訪ねて楞厳寺版『嘉興蔵』をもらい受けたという。この鉄眼版『一切経』の版木は萬福寺・宝蔵院に納められており、国の重要文化財に指定されている。
とは言え、川越の明朝体(和刻本『南斉書』)が、宇治の明朝体(鉄眼版『一切経』)ほどには知られていないのは残念だ。どちらも中国の刊本の覆刻であることに違いはない。明朝体は中国で発展してきたものであり、中国から輸入されたものなのだ。

日本語としてどちらが使いやすいかを考えて、まず「金陵」を制作することにした。「きざはし」の原資料『長崎地名考』は近代明朝体との組み合わせだが、動的な結構は「金陵」に合うように思われた。
できるだけ原資料を忠実に「再生」しようとして、独自の解釈はしないように心がけた。それでもなおかつ、そこに自分の筆跡のようなものが醸し出されているとしたら、それが真の個性というべきものなのかもしれない。
名称は「金陵」である。「正調明朝体」というのは書体名ではなくて、キャッチフレーズなのだ。朗文堂でCDジャケットを作成するときに、「明朝体」という語をつけないと売れないということで、このキャッチフレーズになった。
総合書体のフォントデータには、書体名「KOきざはし金陵M」「KOあおい金陵M」「KOさおとめ金陵M」、コピーライト「有限会社今田欣一デザイン室」と入っている。登記の際に深く考えず「有限会社今田欣一デザイン室」としてしまったが、今では「欣喜堂」にしておけばよかったなと思っている。
CDR版については、CDジャケットはもちろん、朗文堂ウェブサイトはもちろん、ブックレットなども朗文堂で作成していただいている。最初のブックレットの「まだ四角四面は好きですか?」というフレーズではじまるテキストは朗文堂によるものだ。朗文堂の主張を色濃く反映した文章は、制作者ではとても書くことのできないものだ。販売促進のためには、ある程度のインパクトは必要なのだ。
ユーザーにアピールするためには、現在の状況から考える必要がある。現代の本文用明朝体にたいしての「正調明朝体」であり、「まだ四角四面は好きですか?」という問いかけである。現代の本文用明朝体との違いをあきらかにして販売を促進しようという作戦なのである。
ユーザーからは「明朝体を手書き風にした書体」というコメントが実に多いのだ。現在の明朝体から見れば、決して間違いではない。使用する上では、南京国子監の『南斉書』を復刻したものであることなど、あまり関係ないのだろう。
ただ制作者としては、純粋に「中国・明代の刊本字様を、現代の日本語組み版で使えるようにしたい」ということだけだったのである。歴史的には、明朝体を手書き風にした書体ではなく、宋朝体を直線的にした書体である。ましてや意図的に抱懐を締めて、古拙感を出そうとしたのでもない。この意味で「正調明朝体」というキャッチフレーズは合っているのだろう。
「金陵」という復刻書体について、「個性を感じる」というコメントがあった。もちろん、原資料そのままの「再現」ではなく、現代の活字書体としての適性を考慮した「復刻」ではある。それでも復刻書体なので、むしろ没個性だと思っていた。
できるだけ原資料を忠実に「再生」しようとして、独自の解釈はしないように心がけた。それでもなおかつ、そこに自分の筆跡のようなものが醸し出されているとしたら、それが真の個性というべきものなのかもしれない。