2020年09月17日

「KOきざはし金陵M」のものがたり4

欧字書体「K.E.Taurus-Medium」のはなし

現代の日本語書体は、和字書体・漢字書体・欧字書体が揃ってはじめて成立することになる。欧字書体も必要である。候補として、オールドローマン体を当てることにした。
候補の一つは、アルダス・マヌティウス(1449年–1515年)の工房の活字書体である。この工房において、多数のギリシャ・ローマ時代の古典文学を出版した。活字父型彫刻師フランチェスコ・グリフォ(1450年?–1518年?)の手になる活字書体は、ビエトロ・ベンボ(1470年–1547年)の著作『デ・エトナ』(1495年–1596年)に使われた。オールド・ローマン体の成立を決定づけるものといわれる。
フランチェスコ・コロンナ(1433年–1527年)の著作『ポリフィラスの夢』(1499年)の製作もアルダス工房で請け負っている。この書物では『デ・エトナ』に使われた活字を改刻して、大文字がより威厳を増している。
もうひとつの候補は、クロード・ギャラモン(?–1561年)の活字書体である。ギャラモンは、印刷人シモン・ド・コリーヌ(1470年?–1546年)らとともにアルダス工房の活字を分析して、フランス語に適するように試行錯誤を重ねていった。
完成したギャラモンの活字は、コリーヌの義理の息子ロベール・エティエンヌ(1503年–1559年)によって印刷された『ミラノ君主ヴィスコンティ家列伝』(1549年)など、パリの印刷人によって多くの書物にもちいられた。オールド・ローマン体の地位が確立していくことになる。
「きざはし」、「金陵」との組み合わせでは、ギャラモンの活字の方が好ましいように思われた。ギャラモン活字が使用されている『ミラノ君主ヴィスコンティ家列伝』から抽出したキャラクターをベースに、日本語組版に調和するように制作したのが「K.E.Taurus」である。

2020年09月18日

「KOきざはし金陵M」のものがたり5

日本語書体「きざはし金陵M」の誕生

「きざはし」は、2003年に「和字書体三十六景第2集」のなかの1書体として発売されていた。これに、漢字書体「金陵」、欧字書体「K.E.Taurus」を加えたのが「さきがけ龍爪M」である。漢字書体「金陵」、欧字書体「K.E.Taurus」は独立した活字書体としては発売されていない。
TrueTypeの「KRきざはし金陵M」は、「KRさおとめ金陵M」「KRあおい金陵M」とともに、2004年7月から「robundo type cosmique」にCD版での販売を委託した。ダウンロード方式での販売はその数年後である。
16世紀を代表する和字書体といえば、キリシタン版の『ぎや・ど・ぺかどる』(1599年)が相当するのであろうが、筆書きに近い「ばてれん」では系統が違うように感じた。それに対応する和字書体となると明治時代まで待たなければならない。私が推奨している『長崎地名考』(香月薫平著、虎與號商店、1893年)に見られる東京築地活版製造所の五号和字書体は、『南斉書』(1588年–1589年)、『ぎや・ど・ぺかどる』(1599年)に比べると300年もの時代差があるが、書体の分類上は一番揃っているように感じる。それほど活字書体としての和字書体の発展が遅れていたともいえる。
このほか、「和字書体三十六景・第1集」(2002年)の「KOかもめM」や、「和字書体三十六景・第2集」(2003年)の「KOはやとM」、「和字書体三十六景・第3集」(2005年)の「KOまどかM」に、漢字書体「金陵」、欧字書体「K.E.Taurus」を組み合わせることも考えられる。
KOかもめ金陵M(★)
KOきざはし金陵M
KOさおとめ金陵M
KOあおい金陵M
KOはやと金陵M(★)
KOまどか金陵M(★)
★は未発売


2020年10月12日

「KOさくらぎ蛍雪M」のものがたり1

和字書体「さくらぎ」のはなし

東京・池袋のサンシャインシティワールドインポートマート4階で、毎年2月頃に「サンシャインシティ大古本まつり」が開催されていた。会場も広く、出店数も商品数も多かったので、よく出かけて行った。記憶が定かではないが、2000年代の数年間だったと思う。
古本市で私が目当てにしていたのは、使い古した段ボール箱に無造作に入れられて、だいたい1冊200円ぐらいで売られている本だ。明治時代から昭和初期にかけて出版された木版印刷の教科書である。そこにはあまり人が多くないので、ゆっくりと見ることができる。より取り見取りのなかから、字様を見てこれはというものを物色して買い求めた。
そのひとつが『尋常小学修身教範巻四』(普及舎、1894年)である。あまり美本とはいえず本としての魅力はなかったのだが、中を開いてみるとひきつけられたのである。のちに、これをベースにして制作したのが「花蓮華」の和字書体である。
それから毎年のように出かけていった。『中等国文 二の巻上』(東京・吉川半七藏版、1896年)の本文(楷書体)からは「ゆきぐみノーマル」が、手紙文(行書体)からは「はなぐみノーマル」が生まれた。さらに昭和初期の地図『東京』(大日本帝国陸地測量部、1934年)の手書き文字は「つきぐみノーマル」になった。
『国文中学読本』(吉川半七、1892年)からは「まなぶ」が生まれた。そして『尋常小学修身書巻三』(文部省、東京書籍、1919年)は「修身」の教科書で、二宮金次郎、本居宣長、上杉鷹山、徳川光圀、貝原益軒らが登場している。うすっぺらでノートのような教科書から復刻したのが「さくらぎ」である。

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『小學國語讀本 巻八』(文部省、東京書籍、1939年)は実家に残されていた教科書である。これが井上千圃(高太郎 1872?–1940)が版下を描いたもので、いわゆる文部省活字で組まれている。この金属活字の書体を復刻したのが「しおり」である。
その後「西武古本市」に行くようになって足が遠のいていたが、どうやら「サンシャインシティ古本まつり」は開催されていないらしい。

和字ドーンスタイル・和字オールドスタイル・和字ニュースタイル・和字モダンスタイルとは、いわば彫刻系統の書体だといえる。これとは別に、教科書に登場した書写系統の書体もある。これらを総称して「和字スクールブック」と呼ぶことにする。
漢字でいえば「教科書体」ということになるのだろうが、現状では、和字書体としてではなく、漢字も含めた日本語書体と認識される。また、和語で「ひのもとのかなめ」という名称も考えたが浸透しなかったので、「和字スクールブック」となった。
「和字スクールブック」のカテゴリーでは、小学校教科の書方手本から復刻した「ふみて」、前述の木版印刷による国語や修身の教科書から復刻した「まなぶ」と「さくらぎ」、教科書用活字書体(教科書体)として展開された「しおり」を欣喜堂として制作している。「ふみて」「まなぶ」「さくらぎ」「しおり」のなかから、私が選び出したのは「さくらぎ」である。

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2020年10月13日

「KOさくらぎ蛍雪M」のものがたり2

漢字書体「蛍雪」のはなし(前)

「さくらぎ」は、和字書体三十六景第2集(2003年)のなかの1書体として発売された。
「さくらぎ」に組み合わせて使用できる漢字書体の候補は中国・清代の代表的な刊本字様(武英殿本・揚州詩局刊本)および中華民国時代の金属活字のうちからひとつを選び出すことにした。
清代の官刻本のうち「軟字」と称せられる字様を「清朝体」ということにする。したがって明朝以前の楷書は該当しない。

『聖祖御製文集』
清朝体の代表的なものは武英殿本で、略して殿本ともいう。武英殿本はゆったりとした字様で知られている。そのなかには皇帝自身による著作などがあり、刊行時には「御製」「欽定」などの文字が冠せられた。1711年に刊行された康煕帝の著作は『聖祖御製文集』と称せられた。『聖祖御製文集』の字様をデジタルタイプとして復刻しようとするのが「熱河」である。

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『欽定全唐詩』
官刻本には、武英殿本のほかに地方官庁の刊行したものがある。地方官庁には曹寅が主管した揚州詩局があった。曹寅は清朝代表する小説『紅楼夢』の作者・曹雪芹の祖父にあたる。
康煕年間には、康煕帝の命により編纂された唐詩全集である『欽定全唐詩』(揚州詩局、1707年)があげられる。その字様は、『聖祖御製文集』のそれをさらに洗練したものであった。武英殿刊本をしのぐ品質とされている。

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『欽定全唐文』
嘉慶年間にはいると、嘉慶帝の敕命により董誥らが編纂した『欽定全唐文』(揚州詩局、1818年)が刊行された。唐・五代散文の総集である。この『全唐文』の字様は、運筆が形式化されて活気がないと批評されたが、むしろ均一に統一された表情は、活字書体としての機能をもっている。収められた作家の数は3,000人、作品数は20,000篇にのぼる。皇帝から僧侶、諸外国人に至るまで、あらゆる階層のあらゆる作品を網羅している。『全唐文』の字様をデジタルタイプとして復刻したのが「蛍雪」である。

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康煕年間に揚州詩局で刊行された『全唐詩』と、嘉慶年間に同じく揚州詩局で刊行された『全唐文』は、同じような制作システムをとったと考えられる。すなわち書写の担当者を選抜して、同じ書風で書けるように訓練するという手順をふんで刊刻されたものだろう。刊刻された年代が大きく違うということから、その書体はすこし変化しているように感じられる。
『欽定全唐詩』と『欽定全唐文』とはともに脈絡を感じさせない素直で端正な起筆・収筆である。掠法についても両者ともに同じような速度で、側法は柿の種のような形状で統一されている。躍法はどちらもシャープにはねあげているが、どちらかといえば『欽定全唐詩』のほうがやや短めである。
『欽定全唐詩』と『欽定全唐文』とはさほど大きな違いはないように思えるが、前者は少し抑揚のある印象だが、後者は平板で均一な印象がある。大胆な言い方をすれば、前者は毛筆書写にちかく、後者は硬筆書写にちかい。
『欽定全唐詩』よりも『欽定全唐文』の方が抱懐をひろくとっている。前者が縦長の結構になっているのにたいし、後者は正方形にちかくなっている。『欽定全唐詩』の方がすこし伸びやかだ。『欽定全唐詩』から『欽定全唐文』への変化は、より均一化へと向かっていったようである。

2020年10月14日

「KOさくらぎ蛍雪M」のものがたり3

漢字書体「蛍雪」のはなし(後)

清・康熙年間の「熱河」、清・嘉慶年間の「蛍雪」を試作した。「熱河」「蛍雪」のうち、「蛍雪」を清朝体の代表として制作することにした。
「蛍雪」のキャッチフレーズは「清朝官刻体」と名付けられた。書体名は「蛍雪」である。明代の刊本字様を「明朝体」ということで「正調明朝体」としたのだから、清代の刊本字様を「清朝体」として、まあ「正調清朝体」でしょ……と思っていた。
ところが、わが国には活版製造所弘道軒の清朝活字を発端とする「清朝体」という書体があったのだ。そのために「清朝体」というキャッチフレーズにすると、ユーザーが混乱するというのだ。

小学館の国語辞典『大辞泉』には次のように書いてある。

せいちょう‐たい【清朝体】
和文活字書体の一。楷書体のうち毛筆書きに似せた書体。あいさつ状・名刺などに用いる。

しんちょう‐たい【清朝体】
⇒せいちょうたい(清朝体)


わが国の「清朝体」が、清代の刊本字様と関係があるのかどうか、私にはわからない。かつては「しんちょうたい」といったようだが、なぜ「せいちょうたい」というようになったのかも知らない。

かくしてCDR版のキャッチフレーズは「清朝官刻体」となった。「清朝(官刻)体」ということだし、書体名ではなくキャッチフレーズだし、まあいいか……という気になった。
それでも欣喜堂ウェブサイトや書体見本帳などでは、分類名として「清朝体」を使うようにしている。宋朝体、元朝体、明朝体とくれば、清朝体がいちばんぴったりくる。これ以外は考えられなかった。軟体楷書というほうがわかりづらいと思った。