2021年01月18日

「はやぶさ11号」に乗って

札幌市に本社のあるイメージナビ株式会社にダウンロード販売委託の契約をしたのは2008年12月のことだ。当時は株式会社データクラフトと言っていたが、サイト名の「designpocket」は継承されている。
ちょうど10年目に当たる2018年5月に、ミーティングを兼ねて訪問することにした。日頃はメールでやり取りをしていて、それで特に問題はないが、実際に担当している方に直接面談することも必要なことだと思う。

2018年5月9日、朝から本降りの雨。季節が逆戻りしたような寒さ。加えて、川越線が10時分ほど遅延。小さなトラブルを乗り越えて、10時ちょうど。大宮駅から「はやぶさ11号」に乗車。北海道に向かう。新青森まで東北新幹線、新青森から新函館北斗までが北海道新幹線だ。2016年3月に開業している。北海道新幹線には初めて乗ることになる。
乗車してすぐに雨はあがっていた。ずっと車窓の景色を見て過ごす。鉄道旅の楽しみだ。11時7分、仙台に到着。

1998年ごろフォントワークスのウェブサイトに掲載していた「タイプフェイスデザイン探訪」という記事の第1回をまとめた小冊子(株式会社コムクエスト発行)がある。この小冊子のタイトルは当時試作していた「欣喜明朝W3」という書体を使っている。しかしながら「欣喜明朝」はデザインとしての完成度がイマイチだったので日の目を見ることはなかった。
『タイプフェイスデザイン 漫遊』(今田欣一、2000年)には、「欣喜明朝W3」とともに「欣喜ゴシックW3」「欣喜アンチックW3」の組み見本を掲載している。しかしながら「欣喜明朝W3」はデザインとしての完成度がイマイチだったので日の目を見ることはなかった。

盛岡には11時47分に到着。盛岡駅を通過した後、車内販売で買った駅弁を食べる。これも鉄道旅である。

「欣喜明朝W3」は、typeKIDSの写植文字盤プロジェクトで蘇った。漢字書体「白澤中明朝体」である。このプロジェクトは簡易文字盤・四葉を製作し、テスト印字物までつくった。
「typeKIDS」は活字と書物にまつわる小さな勉強会である。1年半にわたって取り組んできた3Dプリンター活字「貘B」、電子書籍を組むために「いぬまる吉備楷書W3」などに続いて、2年にわたって取り組んできたのが「白澤中明朝体」「白澤太ゴシック体」「白澤太アンチック体」の写植文字盤化プロジェクトであった。

新青森には12時35分に到着。どんよりしていた空もすっかり明るくなっていた。30年振りに青函トンネルを通過。青函トンネルができた年以来だが、今回は新幹線で超えた。

写研の新人研修のカリキュラムが原字制作の初心者にとって、今でも有効な方法だと私は思っている。TypeKIDSに学生が参加することになって、写真植字用の文字盤をつくるというプロジェクトということで、この新入社員教育のカリキュラムを実践してみることにした。
書体設計の学習用プログラムとして、オリジナルの書体として試作してみることにした。その新しい漢字書体を「白澤」と名付けた。白澤中明朝体、白澤太ゴシック体、そして白澤太アンチック体である。
勉強会では、写植文字盤を製作して、テスト印字まで行ったところで終了したのだが、さらにデジタルタイプとして継続していこうと考えた。デジタルタイプ化にあたり、書体名を「白澤明朝」「白澤呉竹」「白澤安竹」に変更した。漢字書体は漢字表記にしたかったからである。
わが国の「白澤(白沢)」については、『復元白沢図 古代中国の妖怪と辟邪文化』(佐々木聡、白澤社、2017年)が詳しい。

13時38分、新函館北斗着。ここで途中下車して、五稜郭公園の箱館奉行所に向かう。30年前に訪れた時には影も形もなかったが、2010年に、日本伝統建築の匠の技により140年の時を超えて復元されたのだ。感動的なものだったので、思わずDVDを購入した。
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2021年01月19日

開拓 札幌2018

2018年5月10日、「スーパー北斗5号」で札幌駅へ。札幌駅のすぐ近くにあるイメージナビ株式会社を訪ねる。

ミーティングの後、定番の観光地を巡ることにした。大通公園を抜けて札幌市役所へ向かう。札幌市役所には札幌の礎を築いた開拓判官、島義勇(しまよしたけ)の銅像があるという。受付でどこにあるか尋ねる。「それでしたら、こちらにあります」と教えてくれた。なんと玄関フロアのすぐ右手にあった。聞くまでもなかったのだ。
河 水 遠 流 山 峙 隅   河水遠くに流れて山隅にそばだつ
平 原 千 里 地 膏 腴   平原千里地は膏腴(こうゆ)
四 通 八 達 宜 開 府   四通八達宜しく府を開くべし
他 日 五 州 第 一 都   他日五州第一の都

銅像の下のプレートにはこのような漢詩が記されている。札幌に入った島義勇が札幌・円山のコタンベツの丘に登り、この地に本府を造ろうと決意した時に詠んだ詩である。情熱を持って実行に着手しようとする熱意が伝わってくるようである。
再び市街に出る。五月というのにすごく寒い。札幌観光の定番中の定番、札幌市時計台(旧札幌農学校演武場)と、赤レンガ庁舎(北海道庁旧本庁舎)を見学。多くの見学者が訪れていた。
最後に、北海道大学へ。北海道大学総合博物館を見学する。

近代の書体について欣喜堂ではつぎの3系列で試作している。
【第1系列】「日本語書体三傑」に含まれる。国名の漢字表記を書体名にしている。
美華(近代明朝体)/伯林(呉竹体)/倫敦(安竹体)
【第2系列】「日本語書体十二撰」に含まれる。五節句を書体名にしている。
上巳(近代明朝体)/端午(呉竹体)
【第3系列】「ほしくずやコレクション」
白澤明朝体/白澤呉竹体/白澤安竹体

第1系列、第2系列に対して第3系列をどう位置付けするかを考えた時、白澤明朝体は、当初参考にしていた東京築地活版製造所の五号明朝活字ではなく、例えば日活明朝体のような現代的な造形のほうが差別化できていいのではないかと思うようになってきた。

翌5月11日は、北海道開拓の村へ行く。明治初期から昭和初期までの北海道各地の歴史的建造物を移築復元し再現した野外博物館である。文化の流れを示す建造物を保存し後世に永く伝えることを目的として、1983年に開村された。
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2021年01月20日

庭園 札幌2019

2019年5月30日、イメージナビ株式会社を訪問するために札幌に訪れた。会食しようということになって、夕刻に訪問の約束をしたので、その前に観光することにした。
訪れたのは札幌・百合が原公園である。
札幌で百合が原公園を思い浮かべる人は多くないと思う。旅行ガイドにも大きく取り上げられてはいない。今から30年以上前の1986年に開催された「さっぽろ花と緑の博覧会」の会場になったところなのである。
百合が原公園全体は広大である。園内を周回するリリートレインが、1時間に2、3本の間隔で運行されているぐらいだ。この公園のシンボルであるユリを始め、ライラックやチューリップなど多くの植物が、それぞれの花壇に植栽されており、1年中、花に囲まれる公園である。
「さっぽろ花と緑の博覧会」の時に作られたのが「世界の庭園」エリアである。札幌市の日本庭園と、札幌市の姉妹都市、中国・瀋陽市、ドイツ・ミュンヘン市、アメリカ・ポートランド市の庭園を巡る構成になっている。
日本庭園(日本・札幌市)は、池泉回遊式の庭園である。池にはり出した平安風の水舞台を中心に、城壁風石垣と、竹垣、鹿威し(ししおどし)、蹲(つくばい)など日本庭園の技がコンパクトに盛り込まれている。北方系樹種が多く植栽されているのが特徴である。1983年の国際庭園博覧会で、ドイツ造園連盟大金賞を受賞したものと同じ設計である。
中国庭園(中国・瀋陽市)の「瀋芳園」は、中国の伝統的な自然山水の庭園である。庭園内の建造物は、明・清代の建築様式。木組と屋根の瑠璃瓦は中国で製作され、特に瑠璃瓦は王宮の建物以外には使うことのできない貴重なものだ。瀋陽市公園管理処の指導により施工された。「瀋芳園」の名には、「万古流芳(永遠に名を残す)」の意が込められている。
西洋庭園(ドイツ・ミュンヘン市)の「ムンヒェナーガルテン」はバイエルン地方の伝統的庭園に近代性を組み合わせた沈床式庭園(サンクンガーデン)である。全体的にはシンメトリーで幾何的な庭園で、樹木に囲まれた中に小川の流れるメドウガーデンがある。ミュンヘンの造園家、ゲアハルト・トイチェ氏とザンボ・ヴィットマン氏によって設計された。
もうひとつ、ポートランド市の一般的な家庭の庭を再現したという「ポートランドガーデン(アメリカ)」がある。ポートランドの造園家、バーバラ・フェリー氏によって設計されたものだ。
思ったよりこぢんまりとしていたが、日本・中国・西洋の庭園をひとつのエリアに集め、それぞれが特徴を出しながら一体となっている。30年以上に渡り、維持し、公開され続けているのは素晴らしいことだ。

夕刻、イメージナビ株式会社を再訪。改めてフォントのダウンロード販売についてのプロモーションを強化することとともに、現状の市場環境から今後の戦略を検討していくことになった。

西洋、中国、そして日本の歴史は、文字によって記されてきた。西洋、中国、日本のそれぞれに書物の歴史、出版と印刷の歴史があり、印刷書体の源泉は書物の歴史にある。
日本にも、中国にも、西洋に負けないぐらいの印刷書体(活字書体だけでなく木版印刷の字様も含めて)が残されている。欣喜堂では、それらをあたらしい時代の息吹によってよみがえらせ、実際に使用できるようにしている。『欣喜堂 活字入門帖』は、『欣喜堂 書体見本帖』と『欣喜堂 組み見本帖』とともに、欣喜堂で制作した和字書体・漢字書体・欧字書体の制作意図を説明したものであり、研究書ではないが、日本、中国、西洋の印刷書体の歴史をまとめようという意識で取り組んでいる。
日本語では、和字書体、漢字書体、欧字書体を組み合わせることによって成り立っている。和字書体、漢字書体、欧字書体それぞれの造形、イメージ両面での分析とともに、その関係についても考えていきたい。
物語はまだまだ終わらない。和字書体「きたりすロマンチックW3」にあわせて、漢字書体「白澤中明朝体」をデジタルタイプとして試作することにしている。欧字書体は『TRAKTAAT』(邦題=和蘭条約書、1858年)を原資料とした「Vrijheid serif」を試作している。和字書体「きたりすゴシックW6」にあわせて、漢字書体「白澤太呉竹体」と欧字書体「Vrijheid sans」を、和字書体「きたりすアンチックW6」にあわせて、漢字書体「白澤太安竹体」、欧字書体「Vrijheid slab」を考えている。

翌5月31日、25年ぶりに中島公園を訪れた。まずは日本庭園を散策してから「豊平館」へ。「豊平館」は1880年(明治13年)に開拓使が迎賓館、ホテルとして建てた歴史的建築物である。
「北海道立文学館」では、特別展「よみがえれ!とこしえの加清純子—『阿寒に果つ』ヒロインの未完の青春—」が開催されていた。
北海道大学植物園にも立ち寄った。リーフレットは日本語版、英語版、中国語版(簡体字)、他に韓国語版が用意されていた。
モデルコース(45分)の内回りルートに従い、北方民族資料館、博物館・重要文化財群を中心に急ぎ足で巡った。
posted by 今田欣一 at 08:10| Comment(0) | 終章:「白澤」の宿望、札幌の虹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月21日

回顧 札幌2020

新型コロナウイルス感染症(COVID–19)が世界中に蔓延した2020年。緊急事態宣言が出され、外出自粛が要請された。毎年5月に計画していた札幌出張は断念せざるを得ない状況となった。
イメージナビ株式会社の運営するdesignpocketでは、「新型コロナウイルス感染症・対策セール」を、2020年5月18日から6月18日まで開催することになった。

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札幌の新聞社、北海タイムス社の本社ビルは、札幌・大通公園の西端の南側にあった。北海タイムス社は倒産したが、本社ビルはタイムスビルとして現存している。そういえば北方書院という出版社は大通公園の東端の北側にあったということを思い出した。
外出自粛が続く中、以前読んだ『北海タイムス物語』(増田俊也著、新潮社、2017年)を読み直してみた。北海タイムス社を舞台にしたこの小説には、光学式電算写真植字機サプトンが登場する場面がある。

萬田さんがガラスで仕切られたコンピュータ室のようなところへ近づいた。中で三人が作業している。
「ここがサプトン室。写研[しやけん]という会社が開発したサプトンという自動写植システムだ。ほら、ここに細長い紙が出てきているだろ。これが新聞で使うそのものだ。原寸大」


電算とは電子計算機の略で、コンピューターのことである。電算写植システムは、入力・編集・組版処理を行う装置と、自動電算写真植字機(出力装置)で構成される。
光学式電算写真植字機はガラス文字円盤に書体を収録して回転させて選字、露光する方式で、アナログタイプであるということでは手動写植機の文字盤と同じである。SAPTON(Shaken Automatic Photo Typesetting Machine)は出力機で、入力機はSABEBEである。
本蘭細明朝体(本蘭明朝L)の開発に着手したのは、光学式電算写真植字機への移行のためであった。電算写植機の普及のためには、書籍や文庫などの本文用の明朝体を開発する必要性があったのだ。
本蘭細明朝体は、光学式電算写真植字機SAPTONの弱点をカバーするために、横線を太くし、先端をカットし、交差部分には大きな食い込み処理が入れられた。ハードやソフトによって起こる、いままでに経験したことのない制約を克服して開発したのだ。

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『永遠も半ばを過ぎて』(中島らも著、文藝春秋、1994年)を読んでみることにしよう。この小説の主人公が電算写植のオペレーターで、一休こと、入力機SAZANNA–SP313が登場する。

一休は、もう年齢[とし]だ。おれが三十八のときに半ばやけくそになって買ったから、五歳になる。本名はSAZANNA–SP313という。
電算写植機の進化はすざましい。五年前の機種なんかはもう恐竜扱いだ。


札幌市中央区に本社のある株式会社アイワードでは、1983年(昭和58年)にSAZANNA–SP313を導入している。以降、写研の電算写植システムによる組版を行なっている。
CRT式電算写真植字機はCRT(ブラウン管)からレンズ系を経て露光する方式である。書体は文字円盤からデジタルデータへと移り変わり、その形式はランレングスフォント、ベクトルアウトラインフォント、曲線アウトラインフォントと変化していった。CRT式電算写真植字機がSAPTORONで、レイアウトターミナルSAIVERTなども開発されている。SAZANNA–SP313はその入力機である。
本蘭細明朝体は、CRT式電算写真植字機でアウトライン・フォント(Cフォント)化されるときに、食い込み処理が埋められている。機種によって原字のデザインが変遷したのだ。
本蘭明朝のファミリー化は1985年であった。この時、本蘭細明朝体は本蘭明朝Lに改称した。本蘭明朝のファミリー構成は、本蘭明朝L、本蘭明朝M、本蘭明朝D、本蘭明朝DB、本蘭明朝B、本蘭明朝E、本蘭明朝Hの7書体である。

レーザー式電算写真植字機はレーザーの走査によって印字するもので、画像や写真の出力もできるようになった。レーザー式電算写真植字機をSAPLS(Shaken Automatic Plate Laser Setter)といい、入力編集機GRAFやSAMPRASなどが開発された。
本蘭細明朝体が1975年に発売されたとき、そのペアとして開発されたのは、石井中太ゴシック体をそのまま拡大した「石井中太ゴシック体L」だった。1990年ごろから本蘭明朝に対応する本蘭ゴシック・ファミリーの制作が企画されていたが、なかなか実現しなかった。
1997年になって、まず本蘭ゴシックUが発売された。2000年には、本蘭ゴシックL、本蘭ゴシックM、本蘭ゴシックD、本蘭ゴシックDB、本蘭ゴシックB、本蘭ゴシックE、本蘭ゴシックH、本蘭ゴシックUの8ウエイトからなる本蘭ゴシック・ファミリーが発売された。
本蘭アンチック・ファミリーは、本蘭明朝ファミリーにつづく書体として、本蘭ゴシック・ファミリーとともに試作していた。本蘭ゴシック・ファミリーは2000年に発売されたが、本蘭アンチックが制作されることはなかった。
株式会社写研大阪営業所の新しいビルディングが竣工したのは1992年10月のことであったが、このビルディングの「定礎」の文字の原図のレタリングは、当時試作していた本蘭アンチックだった。本蘭アンチックの唯一の証である。
株式会社アイワードでは、編集機のGRAF ET-4Nが6台、Singisが一台稼働している。電算写植書体の見本帳として、『タショニム・フォント見本帳 No.5A』(株式会社写研、2001年)が発行されている。

CRT式電算写真植字機の時代に開発された本蘭明朝ファミリー、レーザー式電算写真植字機の時代に開発された本蘭ゴシック・ファミリー、そして幻に終わった本蘭アンチック・ファミリー。このグランド・ファミリーを、新しい時代に継承するために試作しているのがきたりす白澤明朝ファミリー、きたりす白澤呉竹・ファミリー、そしてきたりす白澤安竹・ファミリーなのである。
posted by 今田欣一 at 08:42| Comment(0) | 終章:「白澤」の宿望、札幌の虹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする