2023年02月26日

[本と旅と]滋賀県・藤樹書院跡(2004年8月)

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『中江藤樹入門』(近江聖人中江藤樹記念館編、近江聖人中江藤樹記念館、2002年)とともに

JR安曇川(あどがわ)駅で降りると、中江藤樹(1608–1648)の銅像が迎えてくれる。駅前からまっすぐ東に進むと陽明園という中国庭園が見えてくる。

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陽明園

陽明園は、王陽明(1472–1528)の生地である中国浙江省余姚市と、中江藤樹の生地である旧安曇川町(現高島市)との友好交流を記念して建設した中国庭園である。

陽明園を通り抜けて、中江藤樹記念館へ。


近江聖人中江藤樹記念館

中江藤樹の遺品や遺墨をはじめ、藤樹書院に伝わる漢籍などの文献を収蔵・展示をしている。ここで『中江藤樹入門』という冊子を購入。

中江藤樹記念館から南に進み、中江藤樹の墓所に立ち寄ったあと、藤樹書院跡へ。

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藤樹書院跡

日本の陽明学の祖で、近江聖人といわれた中江藤樹の住居跡・講堂跡で、国の史跡に指定されている。
この建物は、彼が没する半年前の1648(正保5)年に、門弟や村人たちの協力によって完成したもので、明治時代に現在のように再建された。内部には、藤樹直筆の「致良知」の書を始め、遺品・遺物も展示されている。

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2023年02月27日

[本と旅と]奈良県・正倉院(2009年8月)

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『正倉院文書の世界』(丸山裕美子著、中央公論新社、2010年)とともに

近鉄奈良駅から、奈良公園、東大寺などには立ち寄らず、真っ先に正倉院をめざす。内部を見ることはできなかったが、外から建物の様子を見ることができる。逆光で写真撮影がうまくできなかったのは残念だった。

正倉院

正倉院は、聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平文化を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた校倉造の高床式倉庫である。
建立時期は不明だが、光明皇后が夫・聖武天皇の遺愛の品を大仏に奉献した756(天平勝宝8)年前後とみるのが通説である。当初の正倉院の建物構成については不明だが、平安末期には現存する宝庫一棟を残すのみであったようだ。現存する奈良時代の倉庫としてはもっとも規模が大きく、奈良時代の「正倉」の実態を伝える唯一の遺構として、価値の高いものである。
正倉院は宮内庁の所管である。宝庫は現在、古来の正倉のほかに、1952(昭和27)年に鉄筋コンクリート造の東宝庫、1962(昭和37)年には西宝庫が完成し、宝物はこの両宝庫に分納して保存されている。

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この時には、校倉造の高床式倉庫の外観を見るだけだったのだが、その収蔵物については、のちに『正倉院文書の世界』という新書を購入したので、これで勉強したいと思う。

正倉院から北へ大きくまわって、東大寺転害門(てがいもん)へ。


東大寺転害門

三間一戸八脚門の形式をもつ堂々とした門で、天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構である。選挙の時期と重なっていて、正面からだと写真にポスターの掲示板がどうしても写ってしまう。

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せっかくだから、大仏殿を訪れようと思い、南大門に向かう。


東大寺南大門

東大寺の正門である。現在の南大門は鎌倉時代に、東大寺を復興した重源上人が、新たに宋様式を採り入れて再建したものである。

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大仏殿を見学したのち、近鉄奈良駅へ。奈良漬を買って帰る。
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2023年02月28日

[本と旅と]栃木県・足利学校(2015年5月)

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『学校史に見る日本』(五味文彦著、みすず書房、2021年)より


JR足利駅から徒歩で足利学校へ向かう。足利学校は、閑谷学校などとともに「近世日本の教育遺産群-学ぶ心、礼節の本源-」として日本遺産に認定されている。

足利学校

足利学校は日本で最古の学校とされる教育機関である。最初に学校として創建された時期には諸説あるそうだ。
歴史が明らかになるのは、室町時代の1439(永享11)年、関東管領・上杉憲実が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、鎌倉円覚寺から僧・快元を招いて初代の庠主とし、足利学校の経営にあたらせるなどして学校を再興してからである。
上杉憲実は、足利学校を整備し、学校領とともに孔子の教え「儒学」の五つの経典のうち四経の貴重な書籍を寄進している。


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足利学校の北隣にある鑁阿寺に足を運ぶ。


鑁阿寺

鑁阿寺は、鎌倉時代、1197(建久7)年に足利義兼によって建立された真言宗大日派の本山である。もともとは足利氏の館であり、現在でも、四方に門を設け、土塁と堀がめぐらされており、平安時代後期の武士の館の面影が残されている。

この日は時間がなくて行けなかったが、少し歩けば足利織姫神社がある。


足利織姫神社

昭和8年に当時の足利織物同業組合組長・殿岡利助の先導により、市民ぐるみで火災で消失していた社殿の再建に着手し、3年の歳月をかけて、当時では珍しい鉄筋コンクリートで完成、遷宮している。

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2023年03月21日

[本と旅と]千葉県・旧佐倉順天堂(2023年3月)

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『佐倉順天堂 近代医学の発祥地』(日本医史学会・国立歴史民俗博物館編、日本医史学会、2012年)より


2023年3月19日、日暮里から京成本線成田空港行特急で、京成桜(京成佐倉)駅へ。

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佐倉市・京成電鉄・ちばグリーンバスの「桜に染まるまち、佐倉」というキャンペーンを、3月18日から4月9日まで開催しており、この期間だけ「京成桜」という駅名になっている。

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佐倉順天堂記念館(旧佐倉順天堂)

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京成桜駅から20分以上歩いて、佐倉順天堂記念館へ。佐倉順天堂の開設者である佐藤泰然(1804–1872)の銅像が建っている。
佐倉順天堂は、長崎で蘭医学を修め、江戸で開業していた佐藤泰然が、佐倉藩主・堀田正睦(1810–1864)の招きを受け、佐倉本町に蘭医学塾及び診療所として、1843(天保14)年、「順天堂」を開設したことに始まる。
泰然は帝王切開などの新しい外科手術を行い、種痘の普及にも努めるなど最先端の診療を行った。また、西洋医学による治療と同時に医学教育が行われ、佐藤尚中をはじめ明治医学界をリードする人々を輩出した。

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1865(慶応元)年の記録によれば、塾生は北海道から熊本県までの全国から100名にも及び、泰然の弟子は数百名、孫弟子まで含めると3,000名を超えるといわれる。

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明治中頃の佐倉順天堂病院の復元模型(100分の1)が展示されている。


旧堀田邸

途中、レストランCostaにてランチを取った後、旧堀田邸に向かう。
旧堀田邸は、最後の佐倉藩主であった堀田正倫(1851–1911)が、1890(明治23)年に建てた邸宅である。堀田正倫は本邸として居住した。玄関棟、居間棟、書斎棟、座敷棟、湯殿棟、門番所、土蔵の7棟が国の重要文化財に指定されている。

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佐倉武家屋敷

旧堀田邸から、またまた20分歩いて佐倉武家屋敷へ。
城下町佐倉にタイムトリップしたかのような通りに面して、「旧河原家住宅」、「旧但馬家住宅」、「旧武居家住宅」の三棟の武家屋敷があり、現在公開されている。三棟とも江戸時代後期の建築で、佐倉藩士が暮らしていたものだそうだ。

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佐倉武家屋敷からひよどり坂を抜けて、大手門跡広場、国立歴史民俗博物館くらしの植物苑、佐倉城址公園を通りぬけて、国立歴史民俗博物館へ。桜はまだ少し早いが、ちょうど「佐倉・時代まつり」が開催されていて多くの人が出ている。

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すでに15時半になっていたので、まず企画展示「いにしえが、好きっ!-近世考古図録の文化誌-」を見学。閉館時間の17時になってしまったので、常設展示は見ることができなかった。また次の機会に見学することにしよう。
posted by 今田欣一 at 15:19| Comment(0) | 漫遊★本と旅と[ショート] | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする